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baseball2019.03.13

藤田憲右(トータルテンボス)│一度野球を失った“後悔”があるからこそ、芸人としての自分がいる【前編】

お笑い界でも随一の野球好きとして有名な、トータルテンボスの藤田憲右さん。高校時代は野球部でエースとして活躍した経歴を持ち、「高校野球大好き芸人」としてもおなじみ。現在は草野球チームで、大人になってからもプレーヤーとして野球を続けている。
しかし、そんな彼のこれまでの野球人生では、一度野球から離れ、「野球を“嫌い”になった」時期があったという。それでも、再びここまで野球にのめりこみ、「みる」「する」両方の立ち位置で野球を続けるようになるまでに、どんな経緯があったのか。また、お笑い芸人としての道のりに、野球が与えてきた大きな力とは。
野球関連でのメディア出演も多く、情熱たっぷりに野球への愛を語る姿が印象深い彼に、「自分自身の野球人生」について話を聞いた。


■小3で、まったく興味がなかった野球を始めた
 
──野球を始めたきっかけを教えてください。
 
通っていた小学校が、3年生から部活に入らなきゃいけないっていう決まりのある学校で、当時仲の良かった友達がみんな野球部に入るって言うから、僕もなんとなく……という感じでした。だから、その頃は全然野球に興味がなかったんですよ。プロ野球も観ていなかったし、ルールもまったくわからない。それでいざ部活が始まったら、3年生の間はキャッチボールもやらせてくれなくて、ずっと同じ姿勢で2〜3時間声出しをするっていう……小学校なのにやたら厳しくて(笑)。最初の1年間は声出しばかりで、「これじゃあ合唱部じゃん」って思いながら過ごしてました。
 
──その後、どんなふうに野球を「楽しい」と思えるようになっていったのでしょうか?
 
小学校4年生の夏休みに、部活の練習が終わって友達の家へ遊びに行ったら、テレビで甲子園が流れていたんです。そのとき、KKコンビ(当時PL学園で活躍した桑田真澄と清原和博)の試合をやっていて、「うわ、かっけー!」と。それまでは家で流れているプロ野球の試合も真剣に観たことがなかったので、これが僕にとって初めてはっきりと観た野球の試合。清原のホームランがとにかく大迫力で、子どもながらにめちゃくちゃ衝撃を受けたのを覚えています。それからは、自分も野球を頑張ってみようかなと思うようになりました。
 
──ポジションはどこを守っていたのですか?
 
小3から中3の春まではずっとキャッチャーでしたね。野球を始めてから毎日壁当てをやってたら、どんどん肩が強くなってきて、身体も大きくなって。野球の本でポジションの解説を読んだとき「キャッチャーは身体が大きくて肩が強い人が向いている」って書いてあるのを見て、志願しました。キャッチャーって、マスクとかレガースとかいろいろ着けられるじゃないですか。あの特別感が格好いいなとも思ったんですよね。攻撃イニングが終わって、みんなが防具着けるのを手伝ってくれるときの「頼むわ」っていう感じとか(笑)。本当は一番野球を知ってなきゃいけないはずのキャッチャーのポジションを、ルールもまだ覚えきれていないような僕がやるという(笑)。それでもなんとかやってました。
 
──高校ではエースだったそうですね。
 
ピッチャーを始めたのは中学3年生の夏の大会前。うちの中学にはピッチャーが一人しかいなかったんです。チームにもう一人ピッチャーが欲しいというときに、肩の強かった僕に声がかかりました。僕は正捕手だったから、キャッチャーを続けながらピッチャーもやるつもりだったんですけど、気づけばピッチャー一本になっていて。それまでずっと背番号2だったのに、10番になって。「あれ、俺これ最後の大会補欠じゃないか?」と(笑)。
 
──中学最後の大会には出られたのですか?
 
初戦で負けそうだったところで、僕は記念代打みたいな感じで試合に出ました。そしたら、サヨナラヒットを打てて逆転勝ちしたんです。その後、2回戦、3回戦は僕が投げて勝ち進んで、ベスト4になったところで負けちゃいました。結果的に3連勝できたけど、ピッチャーの技術的なところは何も教わっていなかったので、牽制もクイックも、バント処理もよくわかっていなくて。だから、高校に行ったらいろいろ教わりたいなと思いましたね。


■同学年のスター選手に刺激を受けて
 
──高校でも野球を続けようと思ったのは、自然な流れだったのですね。
 
高校が本番だと思って野球をやってましたからね。高校に入ってからは、きちんと下半身を使って投げられるようフォームも矯正してもらって、細かい技術的なところも教わりました。ピッチャーとしての総合力がめちゃくちゃ伸びました。最終的には、球速も130km/hを超えるくらいまでになったんですよ。
 
──高校での野球生活では、楽しかった思い出とつらかった思い出、どちらの印象が強いですか?
 
つらかった思い出のほうですね(笑)。もちろん試合に勝ったときはすごく楽しいですけど、僕の学校は普通の公立校だったし、弱くてなめられてるっていうのも感じていたので。負けて悔しいっていう思いのほうが強く味わいました。練習は全然きつくなかったんですよ。むしろ、もっと練習のきつい学校で「つらくて逃げ出したい!」って感じるような生活を送ってみたかったです。
 
──悔しい思いをたくさん味わっても野球を続けられた原動力みたいなものは何だったのでしょうか?
 
刺激になったのは、同学年で同じ静岡県で野球をしていた小野晋吾くん(現・千葉ロッテ2軍投手コーチ)と、同じく同学年の岡島秀樹投手(現・野球解説者)の存在ですかね。晋吾くんは中学のころから静岡では有名で、僕も試合を観て度肝を抜かれたんです。当時から130km/h後半は出ていたんじゃないかな。しかも速いだけじゃなく、球が浮き上がる感じで「何この球!?」って。こういうやつがプロに行くんだろうなと思いました。高校入学後は学校が近かったこともあって、地域の大会で毎年一回はかならず対戦していて。そのときはもう140km/hくらい投げるようになっていてすごいな、と。そして、彼は1年生のとき、春のセンバツに出ることが決まった。いよいよ小野晋吾のすごさが日本全国に響き渡るぞ、世間驚くぞ〜と思っていたら……彼が1回戦で当たった対戦校の相手ピッチャーが、もう、めちゃくちゃ速い球を投げてるんですよ。「小野晋吾より球速くない!?しかも左!」って。それが、東山高校の岡島秀樹だったんです。上には上がいるもんだなって、見せつけられた気分でした。それがきっかけで、僕も近づきたいと思って必死にトレーニングするようになったんです。


■一度“嫌い”になったけど、心のどこかでは好きだった
 
──高校卒業後は、野球は続けなかったのですか?
 
大学では続けませんでしたね。高校の夏の大会が終わってから、何校か大学のセレクションも受けたんですよ。1校、東北にある大学に受かったんですけど、僕は関東に出たかったので悩んだ末に入らなかったんですよね。落ちた大学を勉強のほうで目指そうと受験もしたけれど、全部落ちちゃって。結局1浪しました。現役で大学に入れていれば絶対に続けていたと思うんですけど、一度全部落ちて心を折られたし、1つ歳下の子たちと一緒にやるのもちょっと違うかなと感じてしまって。そのまま野球をやめちゃったんですよね。それからしばらくは、野球をまったくやらず、観ることさえなくなりました。羨ましいなっていう嫉妬心もあったりして、嫌になってしまったというか。まあ、悔しかったんでしょうね。
 
──その後、また野球にのめりこむことになるきっかけは何だったのでしょう?
 
3年間くらいは完全に野球から離れていて、やっぱり野球を”嫌い”になったと思っていても、心のどこかでは嫌いになりきれないというか、好きな気持ちは消えていないっていうことに自分でも気づいていて。なんとなくのまま野球をやめてしまった自分と、一度きちんと向き合いたいと思うようになったんです。それが、お笑いを始めてだんだん調子がよくなってきたころでした。そのころは、ちょうど松坂大輔投手が大活躍した年。高校野球の熱狂を味わって、グラウンドで泥だらけになって頑張る高校生たちの姿を久々に観て。こんだけ努力してみんな甲子園に行ってるんだって、改めて実感させられて。人が頑張る姿で心を動かされるなんて、やっぱり野球っていいよなって思えたんです。同時に、一度野球をやめてしまったことをすごく後悔しました。それからは、今まで知らなかったこともいろいろ知りたいと思って、調べるようになりました。またどんどん野球にのめりこんでいきましたね。
 
──ずばり、野球そのものの面白さはどんなところだと感じますか?
 
「すごく平等なスポーツ」なところですかね。サッカーって、みんなある程度脚が速くないとだめじゃないですか。バスケは、瞬発力や持久力、身長が必要だったり。でも、野球の場合は足が速くなくてもピッチャーをやればいいし、肩がそんなに強くなければセカンドやればいいし……など、ポジションごとによって求められる能力がだいぶ変わります。たとえ弱点があったとしても、得意なことでそれをいくらでも補えるっていうのは、すごく平等なスポーツだなと思うんですよね。
 
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後編 では、藤田さんが大人になってから再び野球をプレーすることになったエピソードや草野球の魅力、お笑いと野球の関係性、そして今後の野球との関わり方の目標についてお伝えします。



#プロフィール
藤田憲右
1975年生まれ。お笑いコンビ「トータルテンボス」のツッコミ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。静岡県御殿場市出身。小学校3年生から野球を始め、静岡県立小山高校ではエースとして活躍。「高校野球大好き芸人」としてもおなじみ。

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