綱島理友(プロ野球意匠学研究家)│大人だからこそできる、ユニフォームへのこだわり【後編】
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野球ユニフォーム研究の第一人者として活躍する綱島理友さんに、これまでの野球人生やユニフォームとの関わりについて聞いた本インタビュー。後編では、自身のプレー歴や、40歳を過ぎてから始めたという草野球について、それから現在楽しんでいるという「スローピッチソフトボール」について話を聞いた。
■40代になってから、再び野球をすることに
──ご自身は学生時代に野球部やチームに入られていたのですか?
中学で野球部に入りました。でも、「ちょっと自分には才能はないな」と思ったり、肘を壊してしまったこともあって、高校は登山部でしたね。その後、大学に入ったらまた投げらるようになっていたので、仲間と一緒に同好会のようなチームを作ってやっていました。
──その後も、趣味として野球は続けられていますか?
社会人になって編集の仕事をするようになってからは、観るほうが中心で、しばらく自分でプレーすることからは離れていたんですけど。2003年、40代後半のときに草野球チームを作って、また野球をするようになりました。当時はネットがぐんぐん発達していた時代だったこともあり、僕はそのころ自分のホームページを開設して、野球に関する掲示板を作ったりもしていたんです。そしたら想像していたよりも、選手のプレーや監督の采配をああだこうだ批判するようなやりとりばっかり掲示板上でされちゃうものだから、「そんなこと言うなら、自分もやってみろ!」と思ってチームを作ったのがきっかけです(笑)。ある意味オフ会みたいなものですね。でも、結局ほとんど人は来なくて(笑)。でも、その後は本気でやろうっていう人たちが集まってきてくれて、チームになりました。
■打つ快感を楽しめる「スローピッチソフトボール」
──今も、同じチームで野球を続けられているのですか?
今もチームは存続しているのですが、僕自身は歳をとったこともあって、ここ数年は「スローピッチソフトボール」が中心ですね。ソフトボールサイズの大きな硬球を使って、山なりのゆるい球を打つんです。バッターは打ちやすいし、硬球だから「カキーン!」と飛んですごく気持ちいいんですよ。日本ではまだあまり普及していないけれど、アメリカは軟式がないぶん、ソフトボールが草野球なんですよね。それこそMLBの試合の前座で、スローピッチのホームラン競争みたいなこともやっています。今うちのチームは、70年代から続いている米軍のリーグに所属していて、横田基地のレクリエーション施設で毎年戦っています。米軍リーグにもすごい選手が結構いて、140mくらい飛ばす人もいるんですよ。
──打つほうをメインに楽しむ、という感じですね。
そうそう。ある意味、距離がちょっと長めのトスバッティングみたいなものかもしれませんね。日本の草野球は、結局ピッチャーが良いとぜんぜん打てないし勝てないっていうことがあると思うんですけど。こっちは打ち合いを楽しめる、という感じです。でも一応硬球なので、守備に立つときはきちんと気をつける必要があります。
■せっかく大人なのだから、着ることも楽しみたい
──草野球チームを立ち上げた際、ユニフォームにもこだわられたんですか?
草野球の楽しみのひとつは、コスプレみたいなものですからね(笑)。チームを作ったときだから、もう15、16年前になりますけど、せっかくだから自分の好きな形にしたいと思って、アトランタ・ブレーブス風のユニフォームにしました。腰の部分に番号がついているのが特徴的。日本だと、南海ホークスが昔つけてましたね。今はもう見かけないけれど、昔はズボンの腰部分に番号を入れるのが定番だった時代があったんです。
結局、僕が好きなのはオーソドックスなユニフォームなんですよ。野球のユニフォームって、服として普通に考えた場合、そもそも変じゃないですか。でも、これは野球場で見るとちゃんとしたスタイルなんですよね。かっこよく見える。だからこそ、あまり余計なことはせず、だけど飾るべきところはきちんと飾ったような、ほどよいシンプルさが結局いちばんいい。これは、プロのチームにも、草野球でユニフォームを作る場合にも、共通していえることだと思っています。
──たとえば、今のプロ野球だとどのチームのユニフォームがかっこいいと思いますか?
広島は、いわゆる「ネオクラシック」スタイルをちゃんとできていると感じています。伝統的なイメージやチームカラーを守りつつ、時代に合わせて微妙に変化もさせていて。アメリカだと、ドジャースだったりヤンキースだったり。一番好きなのは、僕の草野球チームのユニフォームのモデルにもなった、ブレーブスです。それに、ユニフォームはチームの歴史のひとつでもあるから、思い入れを持って大切にしてほしいですよね。時代の変化とともに少しずつ変わることはあっても、よほどのことがない限りは、ベースになるデザインはころころ変えないほうがいいんじゃないかな、と。
これから草野球でユニフォームを作る人たちにも、ぜひ長く愛着を持てるものにしてもらえたらと思います。
──大人になってから野球をするからこそ、ユニフォームにこだわるのも楽しみのひとつといえますね。
それはあると思いますね。今は、野球のユニフォームもわりとリーズナブルに作れるじゃないですか。だから、自分たちが着たいと思うものを作ればいいんじゃないかな。僕たちは、どうせやるならプロと同じものを着たいと思って、それなりにお金をかけましたよ(笑)。牛革のスタジャンも作ったりなんかして。せっかく大人なんだし、着ることを楽しみたいから。
#プロフィール
綱島理友
1954年生まれ・神奈川県出身。日本大学芸術学部美術学科卒業後、出版社勤務ののち『POPEYE』『BRUTUS』『Tarzan』で編集を担当。並行してコラムニストとしても活動を開始。プロ野球意匠学研究の第一人者として知られ、2008年西武の「ライオンズ・クラシック」でアドバイザーを務めるなど、日本プロ野球界での復刻ユニフォーム導入にも携わってきた。現在も『週刊ベースボール』誌上での連載など、野球ユニフォームに関するコラム執筆を多数手がける。