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baseball2019.04.23

綱島理友(プロ野球意匠学研究家)│大人だからこそできる、ユニフォームへのこだわり【前編】

今では毎シーズンどこかしらの球団で実施されているのを目にする、「復刻ユニフォーム」。このブームの立役者が、「プロ野球意匠学研究家」の綱島理友さんだ。野球ユニフォーム研究の第一人者として活躍し、野球関連雑誌でのコラム連載や書籍の執筆などを行う。コアな野球ファンの間では、知る人ぞ知る存在だ。そんな彼は、60歳を過ぎた今も、形を変えながら、自身で野球をプレーすることを楽しんでいるという。大人になったからこそできる「ユニフォームへのこだわり」についての魅力を聞いた。


■偶然プロ選手とキャッチボールをして以来、ずっと野球ファン


──まずは、綱島さんが「プロ野球意匠学研究家」として活動されるようになったきっかけを教えてください。
 
20年以上前に、雑誌『Tarzan』で「体育の着こなし」という連載をやっていて。たとえば野球でいうとストッキングの履き方だったり、サッカーだったらパンツの紐の結び方だったり……そういう、選手たちの“こだわり”を観察・考察してまとめた企画です。1999年には書籍化もされました。これが、僕がスポーツのウェアものをやった原点なんですよ。その連載のなかで野球のユニフォームについて調べようとしたら、資料がなくて。実物のユニフォームは、野球殿堂博物館などの資料庫に保管されていても、情報をまとめた資料はなかったんですよね。それで、「じゃあ自分がまとめてみよう」と思ったのがきっかけでした。
 
──もともと野球はお好きだったんですか?
 
好きでした。小学校3年生のころ、父親が会社のソフトボールの試合で大洋ホエールズの2軍グラウンドに行くっていうので、僕も連れていってもらったんですよ。親父たちのヘタなソフトボールを見ていてもつまらないので(笑)、壁にボールをぶつけて一人で遊んでいました。すると、外国人がやってきて「ボール投げてみなよ」みたいな感じで声をかけられて。キャッチボールをしてくれたんです。それが、大洋ホエールズのアグリーという選手でした。その後、テレビで大洋対巨人の試合を観ていたら、彼が打っていた。「この選手とキャッチボールしちゃった」と思ってそのままアグリーのファンになり、大洋ホエールズのファンになりました。初めてプロ野球の試合に連れていってもらったときは、弾丸ホームランがナイター照明の光を反射しながら観客席に飛び込んでいく光景を、幼いなりに「きれいだな」「すごいな」と。観るのもするのも魅力的なスポーツだと、子どものころから感じてましたね。


■幼いなりに、こだわりを持っていた


──ユニフォームにも、当時から興味を持っていたのですか?
 
子どものころは、まだ明確に興味を持っていたわけではなかったけれど、周りと比べたらこだわりは持っているほうだったと思います。僕らの時代は、まだ子どもがユニフォームを着て野球をするほど豊かじゃなかったので、せいぜい野球帽でしたけどね。大洋の帽子をかぶりたかったんだけど、そのころは「野球といえば巨人」の時代。地元だったにもかかわらず、大洋ファンは周りにほとんどいなかったし、お店で買えるのは巨人の帽子だけだったんです。だから、巨人の「YG」マークを外して、別売りされている「T」のワッペンに付け替えてもらって、それをかぶっていました。当時のホエールズは負けてばかりでしたからね(笑)。勝ち負けにこだわっていられない、ということで、当時から試合以外の周りのことにも目がいくようになっていたかもしれません。
 
──ユニフォームのほかにも、試合以外の部分で興味を持っていたことがあったのですか?
 
“アメリカの野球”に興味を持ったのも小学生のころでしたね。当時、動物や植物の図鑑と同じように“野球の図鑑”というものがあったんです。そこにはアメリカの野球場が描かれていて、日本とは桁違いの規模感に驚いたのを覚えています。ものすごく広大な駐車場に車がずらーっと並んでいるような描写に衝撃を受けたり……「すごい世界があるんだな」って憧れてしまいました。
それから、小学校4年生のときかな。南海ホークスの投手だった村上雅則さんが、アメリカに野球留学へ行っていて。サンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーからスタートしたんだけど、トントントンと上がって、メジャーリーガーになっちゃった。それでジャイアンツの勝利投手にもなったっていうのを、NHKのニュースで見たんですよ。「アメリカのプロ野球で勝つ日本人選手がいるんだ」って、すごく印象深かったです。
当時よく読んでいた学年誌(小学生向けの雑誌)にも、毎号野球のページがあって、そこに「アストロドームができた」っていう話題が図解されていたりして。それから「いつかアストロドームを見にいってみたい」と思っていましたね。実際に、大学時代に短期留学でアメリカに行ったときは、大陸横断バスに乗って西から東へ野球を観ながら旅をしたりもしました。
ユニフォームのことも気になるようになっていったのは、今思えば高校生くらいのころかな……。
 
──高校生のとき、ユニフォームに対してどんな気付きがあったのでしょう?
 
僕が高校生くらいのころは、“変なユニフォーム”がいっぱい出てきた時期だったんですよね。いわゆる「ベルトレス」だったり、ズボンはパッチパチでタイツみたいだったり。それを体格のいい選手が着ると、お腹がポコッと目立って妙な感じになる(笑)。いろいろと製造の技術面なんかでも、今までできなかったことができるようになっていったことで、色もどんどん変わっていって。アメフトみたいなデザインのものもあったし、種類を増やして毎試合違うユニフォームで試合をするチームなんかもありました。だけど、いろいろ奇抜なことをやろうとするんだけど、どこもそれほど話題になっていなかったり、むしろ不評なこともあって。学生ながらに、「なんだこれ、おかしいぞ」って(笑)。このときの違和感が、今のユニフォーム研究の原点になっているのかもしれません。
 
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後編 では、ご自身のプレー歴や、草野球の楽しみ方についてお伝えします。

[ 後編はこちら ]



#プロフィール

綱島理友
1954年生まれ・神奈川県出身。日本大学芸術学部美術学科卒業後、出版社勤務ののち『POPEYE』『BRUTUS』『Tarzan』で編集を担当。並行してコラムニストとしても活動を開始。プロ野球意匠学研究の第一人者として知られ、2008年西武の「ライオンズ・クラシック」でアドバイザーを務めるなど、日本プロ野球界での復刻ユニフォーム導入にも携わってきた。現在も『週刊ベースボール』誌上での連載など、野球ユニフォームに関するコラム執筆を多数手がける。

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