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baseball2019.05.02

和田一浩(元西武・中日)│“遅咲きスラッガー”の原点は、ボール遊びの楽しさ【前編】

埼玉西武ライオンズ、中日ドラゴンズで活躍し、史上最年長(42歳11ヶ月)での2000本安打達成という大記録を持つ、野球解説者の和田一浩さん。プロ野球選手としてトップレベルの成績を残した彼は、社会人出身、なおかつ30歳でレギュラーに定着したという“遅咲きスラッガー”としても有名だ。
そんな彼にとっての“野球”の原点は、いったいどんなものだったのか。また、年齢を重ねても活躍を続けることができた理由は何だったのか。今まであまり世に出ることのなかった幼少期の体験から、大記録を達成するまでの野球人生について聞いた。


■“ボール遊び”を原点にのめりこんでいった野球
 
──和田さんが野球を始めたきっかけを教えてください。
 
僕は田舎で育ったので、近所に原っぱがいっぱいあって、そこで友達とキャッチボールをしたり、木の枝でボールを打ったりして遊んでいたんです。だから、「野球をやるぞ!」と始めたというよりかは、自然に始めたボール遊びが楽しかったから、という感じです。要するに、遊びから入っているんですよ。
 
──ボール遊びは物心ついたときからされていたのですか?
 
幼稚園くらいのころからですね。遠くに投げられたり、木の枝で打ったボールが遠くへ飛んでいったりするのが、純粋に楽しくて。三角ベースみたいに、野球よりも少し簡単なルールで勝負をして遊んだりもしていました。
 
──その後少年野球のチームに入るのは、自然な流れだったのでしょうか。
 
そうですね。僕の場合は田舎が岐阜なので、ドラゴンズ戦を毎日のようにテレビで観ていて。自分もその世界に入って野球をやりたい、と思うようになったんです。球場に足を運んで観戦することもありましたし、テレビ放送がない日はラジオで聴いて応援していました。僕にとって、そのころから野球は当たり前の存在として身近にあったんです。家族や周りに影響されたということもなく、自分自身で野球にのめり込んでいったという感じでした。


■遠くにホームランを飛ばせる選手になりたい

 
──子どものころにプロ野球を観て、どんなところに魅力を感じていましたか?

子どもながらに衝撃を受けたのが、ドラゴンズ戦を当時のナゴヤ球場へ観に行って超特大のファウルを目の当たりにしたときです。相手はジャイアンツで、バッターボックスには原(辰徳)さんが立っていました。僕はその日、ドラゴンズ側の一塁側のチケットがとれなくて、レフトの上のほうで観ていて。すると、原さんの打球が自分の頭上を越えて、場外ファウルになったんです。そのものすごい飛距離を見たときに、やっぱりプロはすごいなと。当時は小学校低学年くらいだったと思うんですけど、当時の衝撃は今でも残っていますね。
 
──それからは、ご自身も大きな打球を飛ばせるような選手になりたい、と思うようになったのですか?
 
なりました。やっぱり、「遠くにホームランを飛ばせる選手になりたい」とは常に思っていましたし、憧れがありました。ボール遊びをしていたころから感じていたように、遠くに飛ばすとか、速いボールを投げるとか、そういうところに面白さを感じていたんですよね。これが、野球の魅力の原点だとも思っています。
 
──では、チームに入って野球をするようになってからも、“ボール遊び”時代のような楽しさはずっと感じ続けていたのでしょうか?
 
少年野球のときは、たぶん野球を一番楽しんだ時期かなと思います。純粋に「打ちたい」「勝ちたい」という気持ちで野球をできる時期ですよね。それに、チームとして勝利を目指すというのもすごく楽しかった。少年野球の活動は土日だけだったので、雨が降って中止になるとすごくショックだった記憶があります。試合がやりたくてしょうがない、という感覚でした。
 
──当時、上達や勝利のためにどんな努力をされていたのですか?
 
子どものころはそこまで知恵もなかったので、とりあえず見よう見まねでしたね。技術的なことよりは、やっぱり気持ちの強さが大きかったのではと思います。「絶対にプロ野球選手になりたい、ドラゴンズのユニフォームを着て野球をしたい」という思いは当時からすごく強く持っていましたし、妙な自信もありました。


■「甲子園に出たい」という思いが強くなった
 
──中学生になってからは、いかがでしたか?
 
僕は田舎のチームだったので、部活動に入って軟式で野球を続けました。中学に入ってからは、やっぱり楽しいだけではなく、少しずつ厳しさも出てきましたね(笑)。トレーニングだったり、走る量もすごく増えました。先輩後輩の上下関係も出てきたりして。へこたれそうになる気持ちもありましたけど、やっぱり野球自体はすごく好きだったので。それで野球が嫌になる、ということはまったくありませんでした。僕にとって野球は一番大きな存在だったので、これがなくなるっていう感覚はまずないですよね。
中学では、だんだんと甲子園に対する憧れも持つようになりました。もちろん、プロ野球選手になりたいという思いは変わらずあるんですけど。やっぱり、甲子園球場で野球をするというのは、大きな憧れですよね。それで強豪校への進学を目指すようになって、県立岐阜商業高校に進みました。
 
──和田さんが2年生のころに県立岐阜商業は甲子園出場を果たしましたが、実際に甲子園に行ってみてどうでしたか?
 
甲子園練習で初めてスタンドに上がった瞬間に、球場の大きさに感動した感覚は、今でも鮮明に覚えています。立ってみると、不思議と実際の数値的な大きさ以上に広く感じるんですよね。雰囲気だったり、空気だったり、いろいろなものが想像以上に圧倒的でした。
 
──ちなみに、甲子園を目指して練習を頑張ってきたなかで、大変なことはありましたか?
 
大変なことだらけです(笑)。いろいろな地域から上手な人が集まってくる学校だったので、もちろんレギュラー争いも激しいですし。小中学生のころは、ある意味お山の大将のようにできていたものが、高校になると周りにかなわないことが出てくるんですよね。それに、僕は軟式出身だったので、硬式に慣れるまでの苦労もあったりだとか。だからこそ、まずはとにかく「試合に出たい」という気持ちを持って練習していました。
技術的にも体力的にも、打ちのめされることが出てきたのは高校からでしたね。
 
──それを、どうやって乗り越えたのでしょうか?
 
僕は当時体がすごく細かったので、ウエイトトレーニングを始めてみたんです。そこから体が大きくなって、打球や投げるボールもぐんと速くなった感覚がありました。それで少しずつ自信もついてきたんです。はじめはベンチプレスも40kgしか上がらなかったんですよ。それで、このままでは周りに勝てない、とにかく思ったら行動してみよう、ということで、トレーニングをするようになりました。いざ始めてみると、少しずつできるようになっていくのも楽しくて。


■プロ野球選手になりたい」という絶対的な目標
 
──その後、大学に進まれたのも変わらず「プロになろう」という思いからでしたか?
 
本来ならば高卒でプロに行きたかったのですが、実力が足りなかったということで。もっとレベルアップしなければ、と大学野球に進みました。高校の同級生が何人もプロになっているので、そこに自分が入れなかったことで、自分の実力不足は痛感していました。だから大学に行って、もうひとつレベルの高いところで、自分もプロに入るためにしっかり鍛えなきゃ、と思っていましたね。
 
──大学で野球をして、良かったなと感じるのはどんなところですか?
 
全国区のレベルを知れたというのはすごく大きかったですね。高校は公立校だったので、練習試合などで関わるのはどうしても近い地域の高校が多くて。全国区の強いチームとの交流は、あまりなかったんです。だからこそ、全国レベルの選手が集まる大学へ進んだことによって、そのときの自分の実力や立ち位置も客観的にとらえられるようになりました。たとえば、僕はずっとキャッチャーをやっていたので、「あの選手に比べたら自分は肩がちょっと弱いな」とか。もう少しここを伸ばさなければいけない、というところを、それまでよりも意識できるようになりました。
大学でも「大卒でプロになってやるぞ」という気持ちだったので、その後ドラフトにかからなかったときはすごくショックでしたね。いよいよ社会人に進むとなると、年齢的にもリミットを考えなければいけなくなってくるので。「まずい、時間がない」と、焦りも出てきました。
 
──その後、いざプロになれると決まったときはどうでしたか?
 
当時はドラフトのテレビ放送もなかったので、会社でひたすら電話を待っていたんです。ライオンズへの入団が決まったときは、人生のなかで一番、心の底から喜んだ瞬間だと思います。幼児園時代から抱き続けていた夢が叶った瞬間でした。
 
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後編 では、プロ入り後レギュラーを勝ち取るまでの道のりや、大記録達成の要因となった日々の意識面、そして引退後に改めて気がついたという野球の魅力についてお伝えします。

[ 後編はこちら ]



#プロフィール
和田一浩
県立岐阜商業高校、東北福祉大学、神戸製鋼を経て、'96年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。30歳でレギュラーに定着し、リーグ優勝、日本一に貢献したほか、'04年アテネ五輪、’06年第一回WBCでは日本代表として日の丸を背負ってプレーした“遅咲きスラッガー”。'08年からはFA移籍で中日ドラゴンズへ。'15年には史上最年長で2000本安打を達成し、名球会入りを果たした。現在は野球解説者として活動する傍ら、少年野球の指導、イベント出演、講演などで活躍中。

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