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baseball2019.05.03

和田一浩(元西武・中日)│“遅咲きスラッガー”の原点は、ボール遊びの楽しさ【後編】

[ 前編はこちら ]
 
埼玉西武ライオンズ、中日ドラゴンズで活躍し、史上最年長(42歳11ヶ月)での2000本安打達成という大記録を持つ、野球解説者の和田一浩さん。プロ野球選手としてトップレベルの成績を残した彼は、社会人出身、なおかつ30歳でレギュラーに定着したという“遅咲きスラッガー”としても有名だ。
そんな彼にとっての“野球”の原点は、いったいどんなものだったのか。また、年齢を重ねても活躍を続けることができた理由は何だったのか。今まであまり世に出ることのなかった幼少期の体験から、大記録を達成するまでの野球人生について聞いた。


■夢が叶って、燃え尽きてしまった時期
 
──プロ入りが決まったことで、幼少期からの夢がひとつ叶ったということになると思うのですが、その次はどんな目標が生まれてきましたか?
 
それが、次の目標がなかったんです。プロ野球選手になる、という目標が僕にとって大きすぎて、「こういう選手になってやるぞ」というところまではイメージできていませんでした。だから、ドラフトで指名されてから正式に入団するまでの約半年間は、燃え尽き症候群みたいになってしまって。あまり練習にも身が入らなくなってしまったんです。そんな甘いやり方になってしまったこともあって、プロに入っても4〜5年は2軍生活が続いたのだと思っています。
 
──その後また「やってやるぞ」という気持ちになる、何かきっかけがあったのですか?
 
プロに入って何年かすると、周りがどんどんクビになっていくんですよね。1年に10人近くチームから戦力外を宣告される年が、3年くらい続いて。「あっもうすぐ自分の番じゃないかな」と。年齢的にもすでに28歳くらいになっていましたから。それで、ようやく危機感が出てきました。
 
──それから、日ごろの意識も変化したのでしょうか?
 
当時、ライオンズのキャッチャーには伊東勤さんというすごく高い壁が立ちはだかっていたので、僕は打つことで生きていくしかない、と思うようになりました。そのころバッティングコーチだった金森(栄治)さんがマンツーマンでついてくれたので、とにかく言うことを聞いて練習しよう、と。2002年には伊原(春樹)監督にコンバートを勧められて、外野手一本でバッティングに専念するように。もちろん、キャッチャーとして活躍したいという未練もあったのですが、やるしかない、と思って気持ちはすぐに切り替えました。
そのころは、とにかく言われたことをやってみよう、と思ってがむしゃらにやり続けていましたね。すると、いつの間にか自分の身についてきたんです。30歳手前になってようやく「練習ってこういうものなんだな」と気づけたというか。この経験が、階段の登り始めだったのではと思っています。


■自分から「変化」を求め、受け入れる姿勢

 
──その後、和田さんは30代であれだけコンスタントに活躍を続けられます。今だからこそ思う、活躍の要因は何だと思いますか?
 
一番は、変化を怖がらなかったことかなと思っています。意識が変わってからは、常に「もっと打つためには何かを変えなくちゃ」という考えを持っていました。自分より成績の良い選手がいたら「悔しい」と、どうしても負けたくない気持ちになりますし。それで、自分が上にいくためには何を変えればいいのか、ということはよく考えるようになりました。良い選手の姿や話を参考にさせてもらうことももちろんありましたし、昔は何となくやってしまっていたことを、自分の頭で考えて試してみるようになったんです。野球は、7割は失敗するスポーツだからこそ、「悔しい」「もっと成長したい」という思いも大きな原動力になっていたと感じています。
 
──「7割は失敗」で悔しさを感じることのほうが多くても、野球をすることの喜びを感じられるのはどんなときでしたか?
 
やっぱり、チームが優勝したときは本当にうれしかったですね。みんなでビールかけをしたりだとか。日頃プレーをしているときは、正直なところ喜びや楽しさを感じていられる余裕がそれほどなかったのですが、たとえばシーズンが終わって「優勝してよかったね」と言われたときに、初めて喜びを実感できました。
 
──和田さんは史上最年長(42歳11ヶ月)での2000本安打達成というプロ野球史に残るものすごい記録をお持ちですが、「達成できるかもしれない」と意識し始めたタイミングはあったのでしょうか?
 
2010年、ドラゴンズに移籍して3年目で1500本安打を達成したときに、2000本という数字が初めて頭にちらりと浮かびました。本当に、「ひょっとしたら……」くらいの感覚でしたね。プロに入ったときなんて、自分が2000本打てるなんてまったく思っていませんでしたし、目標としても考えたことがなかったんです。今になっても、僕は2000本安打を打つべくして打てたとは言えなくて。たまたま、1年ずつ必死にやったら2000本だった、というか。
 
──40代での達成だったからこそ、年齢の面での葛藤や苦労されたことはありませんでしたか?
 
あんまりそういう感覚はないんです。ただ、30代のころはそこまで体のことを考えなくても自然と動けたのですが、やっぱり40代になると体のケアだったり、それまでやってこなかったトレーニングをする必要が出てきたり……というのはありました。でも、それを苦労だとは感じませんでしたね。プロ野球は20歳の選手も40歳の選手も、同じ土俵で勝負しなければならないので。同じことをやっていて勝てなくなるのは、ある意味当たり前ですよね。だからこそ、知恵や技術だったり、日々の工夫だったり。勝つためにも必要だから年々やり方を変える、という感覚でした。それまでにも「結果を出すためには何かを変えなければ」と意識し続けてきたので、年齢を重ねることによる変化にも自然と対応できたのはあるかもしれません。


■野球を知らない人にも伝えたい
 
──その後2015年に引退されて、今は解説者として活躍されていますが、引退後新しく気づいた野球の面白さなどはありましたか?
 
たくさんありますね。それまで見えなかったことって、いっぱいあったんだな、と実感する日々です。たとえばバッティングの技術でも、現役時代に必死に自分の理想の形を追い求めていたんですけど、今になって「こうやって練習すればよかったんだな」なんて思うことはたくさんあります。いろいろな選手の練習を見たり、本で勉強をしたり。今だからこそ気づくことは本当に多いですね。この経験も活かして、子どもたちや若い世代に、バッティング技術の良いものを伝えられたらいいな、と思っています。
それから、今は解説者として伝える立場になったからこそ、応援してくださるファンの皆さんのほかにも、たとえば自分たちのことを取り上げてくれるマスコミだったりとか、世の中にはいろいろな形で野球を支えてくれる人がいるのだと、改めて実感するようになりました。そして、今の伝える立場を活かして、野球をよく知らない人にも「野球って面白いんだよ」ということをわかりやすく伝えられるようになりたいと思っています。
 
──たとえば、野球をよく知らない人に面白さをズバリ伝えるとしたら、まずはどんなことを言いたいですか?
 
一番は、やっぱり“速いボール”“遠くに飛ぶボール”を生で観てほしいですね。人間ってこんなにすごいんだ、野球の球ってこんなに飛ぶんだ、こんなに速いんだ……というのを生で観てもらえたら、ちょっと感動するんじゃないかなと思います。たとえば、大谷(翔平)選手が投げているのを近くで見たら、だれもが「すごいな!」と感じると思うんですよね。僕自信も幼少期に感じていたような、一番純粋な原点の感動を味わってみてほしいです。それで興味を持ってもらえたら、一人ひとりの選手の魅力だったり、勝負の空気感や、駆け引きの部分にもぜひ目を向けて、楽しんでもたえたらと思います。



#プロフィール
和田一浩
県立岐阜商業高校、東北福祉大学、神戸製鋼を経て、'96年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。30歳でレギュラーに定着し、リーグ優勝、日本一に貢献したほか、'04年アテネ五輪、’06年第一回WBCでは日本代表として日の丸を背負ってプレーした“遅咲きスラッガー”。'08年からはFA移籍で中日ドラゴンズへ。'15年には史上最年長で2000本安打を達成し、名球会入りを果たした。現在は野球解説者として活動する傍ら、少年野球の指導、イベント出演、講演などで活躍中。

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