大野雄大が令和時代に見せた決断は、多くの日本人の胸を打つことを証明した。
矮小なむかし話を少し。
むかしむかし、といっても時代が昭和の終わりだったころ、『サッカーマガジン』が好きで好きで仕方のない学生がいました。
どれほど好きだったかというと、小学校6年生の秋から欠かさず買い揃え、表紙にはわずかなキズ、折れ目もつかないよう厳重に保存し、かつ、メキシコ・ワールドカップの観戦ツアーも『サッカーマガジン』のツアーで行くほどの傾注ぶりでした。
大学卒業が近づいてくると、彼はもちろん『サッカーマガジン』を出版するベースボール・マガジン社への就職を希望しました。が、あっさりボツ。仕方がない(失礼な!)、ならば次善の策だとばかりに『イレブン』という専門誌を出している出版社に狙いを変更しましたが、これまたあっさりとボツ。
「じゃ、仕方がないか」とイタリアに料理の勉強でもしにいく方向で気持ちを固めつつあった大学生ですが、4年生の秋、『サッカーダイジェスト』が主催する大学同好会の大会に参加し、そこで知り合った『サッカーダイジェスト』のライターやカメラマンに「メキシコに行くほどサッカーが好きだったら、ウチ受けてみれば」と誘われてしまいます。
大学生は迷いました。マガジンは大好き。イレブンも、まあ好き。でも、ダイジェストは、はっきり言って眼中にありませんでした。所詮は新興にして業界最下位の専門誌。記事の間違いは多いし、写真や原稿もしょぼい(生意気な!)……というのが、彼のダイジェストに対する印象だったからです。
ただ、そうは言っても専門誌。彼は30分ほど迷ったあげく、ダイジェストの試験を受けることを決心します。で、無事合格(ま、紆余曲折はあったんですが、それはまた別の機会に)。
数年後、彼は強硬なダイジェスト至上主義者に変身してました。
これといったターニング・ポイントがあったわけではありません。ただ、編集部の居心地が抜群によかったこと、取材先で「ダイジェスト?なんだ、マガジンじゃないんだ」とか言われたりしたのが関係していたかもしれません。どこかの段階からか、彼は「マガジンにだけは絶対に負けたくない」と公言する編集者になっておりました──。
というわけで、子供のころファンだったから阪神に来てくれるはず、とはまるで思っていなかったわたくしです。熱狂的な阪神ファン、掛布ファンで、ドラフトで巨人に指名された時には涙をこぼしたとまで言われるゴジラも、結局は阪神に来てくれなかった。見向きもしなくなってしまった。
これまた阪神の大ファンで、FAでの移籍はほぼ確実とされたハマの番長さんも、やっぱり選んだのは残留だった。
「甲子園って7回裏が始まる前にジェット風船あがるじゃないですか。360度すべてからあがる風船をマウンドから眺めるのって、阪神のピッチャーにはできないんですよ。7回裏を投げることが許された相手チームのピッチャーだけ。甲子園のマウンドから見るあの光景、ほんまに凄いですよ」
もちろん、番長が残留を決意した最大の理由は、横浜への思いや仲間との連帯感であったりしたのだが、そうか、阪神に所属しなくとも、阪神ファンの悦楽に浸ることは可能だったんだ、と教えてくれたエピソードだった。
さらにいうなら、息子さんが日本ハムに入団したラグビー界の大物も、熱烈な阪神ファンだった。我が家に現在は阪神の監督をしている選手が遊びに来ていると聞きつけた時は、息子2人を連れて飛んできた。
そんな彼が、いまは言うのだ。
「阪神? いやあ、見なくなりましたね。てか、そりゃファイターズでしょ」
なので、覚悟はしておりました。大野雄大、阪神に来てくれないかも、とは。
いや、妄想はしました。しまくってました。大野が来てくれたら、どないしよ、巨人に35ゲーム差ぐらいつけて優勝してしまうかもしれん。日本シリーズでは4タコでホークスをイワしてしまうかもしれん。あかん、阪神が強すぎて来年のプロ野球、あんまりおもろないかもしれん。
夢は消えました。吹っ飛びました。あげく、巨人は菅野が残留です。前回の東京五輪の年に阪神は優勝した。なので去年は優勝するはずだったのが、延期になったことで優勝も延期になった。今年こそはと思っていたら、いやいや、五輪の開催がいよいよ危ない状況になり、となると阪神は……な状況です。
ただ、そうした個人的妄想というか、異様なファン心理をできるだけ取っ払って考えてみると、大野雄大、惚れる。
FAにあたって阪神が提示した額は、中日が用意していたものよりだいぶ上だったと聞く。大野の獲得に失敗したあと、阪神が外国人選手獲得に費やした額を考えれば、あながち信憑性がない話とも思えない。
クサい言い方をすれば、仲間のために、ファンのために、彼は大金を蹴ったのだ。
1年にもらえる額は大きいものの、プロ野球選手の寿命は決して長くない。そして、十分に長い老後のことを考えれば、限られた時間にできるだけ多くの額を、と考える選手を、わたしはまったく非難できない。というか、金額こそが選手の価値を証明する最適な基準である以上、日本の選手はもっともっとギャラにこだわっていいとも思っている。
だが、オトナになってから身につけたそんな理性を、大野雄大は吹っ飛ばしてくれた。令和の時代に見せた極めて昭和的な決断が、依然として多くの日本人の胸を打つことを証明してくれた。
ダイジェストを辞めたあと、格段に待遇のいいスポーツ総合誌から声をかけられて「わーい!」とばかりに飛びついた人間としたら、そらもう、チャンカワイになって叫んで、あとはこっそり祈るしかない。
惚れてまうやろー!(でも、阪神戦だけはお手柔らかに)
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