阪神タイガースを指揮する矢野燿大監督が3シーズンで積み上げた功績
我ながら感心する。というか、ビックリする。
『普段、わたしが阪神について書くことは予想や予測というよりほぼ願望なのだが、(中略)ロハスは打つ(願望)。アルカンタラは勝つ(願望)。大山はホームラン王を獲得し(願望)、藤浪は完全復活を遂げる(願望)』
今年の1月、誰あろうこのわたしが書いたコラムである。
ロハスは、打たなかった。
アルカンタラは、勝たなかった。
大山は、ホームラン王にはほど遠かった。
藤浪は…今年もダメだった。
さらに、守備臨時コーチに元巨人の川相さんを呼んだこと、甲子園の土の状態が20年よりもよくなるという理由を根拠に、原稿の中で「今年は減る」と自信満々に言い切ったエラー数は、今年もリーグ・ワーストだった。
シーズン前、わたしが抱いていた願望のほとんどは、無残といってもいい形で打ち砕かれた。よくもまあ、これだけ当たらない予想、願望を並べられたものである。
そして、今更ながら驚く。
これだけの誤算がありながら、セ・リーグで一番多くの勝利を収めたのが阪神だったということに。
優勝を決めるのは勝利数ではなく勝率というのは、あらかじめ決まっていたこと。そのことに文句をつけるつもりはないし、だから阪神の方がヤクルトより上だったと強弁するつもりもない。高津監督のやり繰りは見事だった。村上は怪物になったし、セットアッパーの清水は本当に厄介だった。
で、とどのつまり、阪神は優勝を逃した。今年しなければいつするんだよ、という絶好機をフイにしてしまった。
敗因についてはいろんな方がいろんなことをおっしゃっている。たぶん、どんな意見にも一理はあるのだろうし、わたし自身、思うところはいろいろとある。
個人的に一番大きかったと思うのは、6回、7回を任せるピッチャーが最後まで不安定だったということ。
2年目の及川の頑張りは見事だったし、シーズン途中から中継ぎに回ったアルカンタラもよくやってくれた。だが、投手キャプテンの岩貞が安定しなかったことで、中継ぎ陣は精神的支柱を欠いたままシーズンを送ることになった。
セットアッパー、ストッパーとて人の子。抑える時があれば、打たれる時もある。誰もがそのことを痛いほど理解しているからこそ、誰かが打たれた時は代わりの誰かが必死になってカバーしようとする。JFKやSHEが大車輪だった頃の阪神がまさにそうだった。
だが、軸になるべき投手が、連続して失敗を繰り返してしまうと、歯車は狂い始める。「大丈夫!」を前提に準備してきた次の投手は、「大丈夫か?」との不安を抱きながらブルペンで肩を作らざるをえない。自分のことだけに集中できた時とは、確実に何かが変わってくる。
もっとも、そんな誤算も、優勝を逃した他のチームが直面した誤算に比べれば、可愛いものかもしれない。
たとえば巨人。本物の誤算と嬉しい誤算のどちらが大きかったか。阪神には佐藤、中野、伊藤のルーキー3人が予想を遥かに上回る活躍を見せてくれるという嬉しい誤算があったが、巨人に、あるいは広島や中日、横浜に想定を上回るプラスがあっただろうか。
優勝を逃したのはもちろん悔しい。はらわたが煮えくり返ってもいる。ただ、だからといって今年の阪神のすべてを否定しようとは思わないし、してはいけないとも思う。
これで勝てなかったのだから矢野監督は、首脳陣は無能だ、とも思わない。
確かに今年も阪神のエラーは多かった。そのこと自体は否定しないが、昨年の総エラー数が85だったのに対し、今年は86だった。数字の上では一つ増えたことになるが、昨年の試合数は120で、今年は143だった。1試合あたりの失策数で言えば、わずかながら確実に減少している。
さらに、86あった失策のうち、25パーセント強にもなる22個は、ルーキーの3人が冒したものだった。中でも多かったのは中野の17なのだが、実は、そのうちの13個はオリンピックでペナントが中断されるまでの前半戦で冒したものだった。
つまり、甲子園に、各球場に、そしてプロの打者の打球に慣れた後半戦3カ月でのエラーは、わずかに4個なのだ。
そこにわたしは、光を見出す。
矢野監督を始め首脳陣を糾弾する声の中には「これだけの戦力を揃えながら」といったものもある。気持ちはわかる。わかるのだが、今年度の阪神タイガースに所属する日本人選手の年俸総額は12球団中11位だったという事実もある。大山や近本、サンズなどがメンバーから外れた終盤戦では、出場した全員の年俸を合わせてもヤクルトの山田ひとりに及ばない、などという日もあった。
矢野監督やスタッフを盲目的に擁護する気はないし、たとえば終盤、自慢の足がパッタリと止まってしまったところなどは、ベンチの責任も大きいとは思う。確かに中野だけは終盤に入っても盗塁を量産したが、その多くはランナー1塁3塁という状況での、言ってみれば“おいしい”盗塁だった。前半戦に見られた、ランナー1塁からの代走起用で好機を一気に拡大──といったシーンは、終盤に入ると完全に影をひそめてしまった。
ただ、そんな不満も、これが成長過程だと考えればまだ我慢できる。というか、そう考えて我慢することにする。
来年で56歳になるわたしは、66年に生まれた。生まれてこの方、阪神の優勝を目にしたのはたったの3回でしかない。56年で3回。これは、名門というよりは弱小チームの数字である。
古今東西を見渡しても、人気チームというのは例外なく黄金時代を築いた経験があるものだが、これだけ弱くてこれだけ人気のある阪神タイガースというチームは、世界的に見ても相当に希有な存在と言える。似たような存在で思いつくのは……まるで勝ってはいないけれど、スペインでもっともポピュラーなチームといわれるリーガ・エスパニョーラのベティスぐらいか。
ただ、ベティコ(ベティスのファン)たちはチームに優勝を期待しないが、虎キチは求める。毎年、求める。弱いのに、名門のような期待を寄せる。ゆえに、歴代の阪神の監督は片っ端から無能呼ばわりされてきた。病気でチームを去った星野監督を除くと、ほぼすべての監督が罵声とともにその地位を追われてきた。
ご多分に洩れず、巷では矢野監督やスタッフに対する怒りの声が渦巻いているようだ。これはもう、阪神というチームの宿命というしかないので、わたしもとやかくは言わない。
ただ、最後に事実だけは記しておきたい。わたしが生きてきた56年の中で、就任から3年間、着実に勝率をあげた監督は一人しかいなかった。たったの一人だけだった。
5割4厘から5割3分1厘、そして5割7分9厘。
これが、矢野監督が3年間で残した勝率である。
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