満票MVPを獲得した大谷翔平選手を食で支えた人物が明かした、今季の裏側と感銘を受けた大谷選手のある想いとは
現地時間11月18日、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手は、ア・リーグ最優秀選手(MVP)に満票で1位に選ばれた。メジャーのMVPは、全米野球記者協会(BWAA)の指名する各球団の番記者30人の記者の投票によって選ばれるが、満票での1位獲得は2015年ブライス・ハーパー(当時ワシントン・ナショナルズ)以来の快挙だ。
本格的な二刀流として臨んだ大谷選手は今季、打者としては155試合に出場し、46本塁打、100打点、26盗塁、.965 OPS(出塁率と長打率を足した数字)の成績。 投手としては23試合に先発し、9勝2敗、防御率3.18、156奪三振の成績を残した。さらに大谷選手は、WAR(打撃・走塁・守備・投球を総合的に評価した選手の貢献度を表す指標)という指標で、8.1(打者と投手を合わせた数字)という数字を残している。ア・リーグMVP投票で、2位となったブラディミール・ゲレーロJr.のWARは6.7だったので、その差は一目瞭然だ。この数字が、MVPの決め手になったと現地メディアは指摘している。
このように、打撃と投球の両方でメジャー上位の成績と指数を残したのだが、その力の源が、日本食にあったことはご存知だろうか。今回、大谷選手を食で支えた人物が明かした今季の裏側と、その人物が感銘を受けたという、“ある想い”について紹介したい。
鮨処「古都」の松木保雄氏(オーナーシェフ)。額内のイラストや松木氏の手にあるグッズは、知り合いの地元アーティストが制作したという。
お話を伺ったのは、鮨処「古都」の松木保雄氏(オーナーシェフ)だ。エンゼルスの本拠地から車で20分ほどの場所で日本食レストランを経営している松木氏は、今季終盤、大谷選手の食事を作っていた人物でもある。また、同氏は社会人野球でプレーをしていた野球経験者だ。
そんな松木氏だが、どのようなきっかけで大谷選手の食事を作ることになったのか。そのきっかけは、以前に同店で働いていた水原一平通訳から「大谷選手に料理を作ってくれないか」との連絡だと明かしている。松木氏によれば、以前、水原通訳が大谷選手を連れて店を訪れた際に、「いつかデリバリーの選択肢に入れておいてくださいね」と話したことがあったそうだ。
もちろん、エンゼルスや大谷選手個人に栄養士がついていることを知ってはいたが、水原通訳からエンゼルスが提供する食事はやはりアメリカ人向けの料理が多いという話を聞いたそうだ。そういった背景や、「(大谷選手は)できたてのものが食べたいのかもしれない」と感じたことから、その依頼を快諾したという。
「私にとって、作って持っていくことぐらい簡単なことでしたので、メニューも『私や妻のおまかせでもいいか』といったお話をしながらやり始めました」
松木氏は水原通訳と連絡を取り合いながら、大谷選手の要望に応えた。最初の頃は、うな重と天ぷら、函館丼(海鮮丼)といったオーダーを受けていたようが、その後はおまかせになったそうだ。基本的には松木氏の方で様々な料理を作っていたが、店が定休日(月曜日)の時には、松木氏の妻が自宅でビーフシチューを作ったという。
食事は、試合前と試合後(夜食)用になるものを提供していたという。松木氏によれば、納豆巻きを10本ぐらい作ったこと、水原通訳から「今日は(捕手の)カート・スズキさんとも食べます」という時もあったそうだ。
球団や管理栄養士から、食事に関する指定等は特になかったとのことだが、松木夫妻は大谷選手の健康を第一に考え、ビタミンが豊富なものや疲れが取れる酢の物(生わかめやキュウリ酢)なども添えた。
また、大谷選手は、投打出場毎に食事の時間や量を変えていたという。その際は、水原通訳から「今日はバッターなので、午後4時半までに(配送を)お願いします」や、「今日は登板の日なので軽めの食事で、でも肉料理は入れてください」といった連絡を受けて、それぞれ対応していた。
松木氏は、大谷選手が9勝目を飾った時は、釜飯と肉料理を食べたと教えてくれた。また、10勝目を目指していた時は、とろろのぶっかけ冷やし茶そばと野球ボールサイズのおにぎり、そしてタケノコと薄切り肉のすき焼き風を食べたことも明かしてくれた。
さらに、松木氏が提供した料理の中には、大谷選手の好物になったものがあった。それは穴子丼だ。松木氏によれば、初めて穴子丼を持っていくと、水原通訳から「むちゃくちゃ美味しかったです」と返事を受けたそうだ。また、その数日後に、「穴子丼ありますか」という連絡が来たそうで、「好きだったんでしょうね」と松木氏は推測する。
それ以外では、脂の少ないリブアイの薄切りステーキ丼、大谷選手の故郷である岩手の三陸の幸が入った「三陸丼」や、北海道名産の入った「オホーツク丼」などを持っていったそうだ。
もちろん全て大盛りだ。
また、大谷選手はゲン担ぎを大事にすることも教えてくれた。例えば、先ほどの納豆巻きもそうであるし、とろろのぶっかけ冷やし茶そばがその例だといい、「粘れるものでゲンを担いでいらっしゃいました」と明かしている。
松木氏は、そんな大谷選手の活躍の力になりたいと常に思っていたと述べている。また、水原通訳から「今日はホームランが打てるものをお願いします」といったリクエストを受けたこともあったようだ。松木氏は、応えられる料理をつくり、それぞれにオリジナルの名前をつけてもいたという。
例えば、先ほどのリクエストに対しては「かっとばせ弁当」という名前をつけたり、大谷選手が連続でデッドボールをぶつけられた時は、大谷選手に元気が出るように「頑張れ大谷丼」と名付け、応援メッセージを添えて球場に配達していたそうだ。
そういった松木氏の心遣いと、今季中に食べていた日本食の数々が、大谷選手の活躍の源になっていたのではないだろうか。松木氏は「大谷選手に直接伝わったかどうかは定かではない」というが、そういった人からの気持ちに常に感謝を示している。
松木氏は大谷選手が、MVP受賞直後インタビューで、まず監督やコーチ、ファンに対して感謝を伝えていたことに大きな感銘を受けていた。
「感謝ということは大事なことですよね。両親のおかげで自分が今いることに感謝するというのは、若い時は分からないんです。ですが、大谷選手のように毎日感謝を持って生きていけるのは、なかなかできないことですよ」
そして、松木氏は、水原通訳の活躍についても感慨深いものがあったようだ。
「(水原)一平さんも大谷選手のお世話を一生懸命にして、(今季の活躍やMVP受賞は)2人のタッグマッチでしょうね」
大谷選手とともにランニングを行う水原一平通訳(写真は2018年撮影)
先述のように水原通訳は、以前、同店で働いていたことがある。今から15年ほど前、まだ水原通訳が21、22歳の時だった。松木氏は、水原通訳の父親と共に板前として働いていたということもあり、水原通訳とも旧知の仲であり、松木氏にとっては甥っ子のような存在だ。
松木氏によれば、水原通訳は、昔から派手さはなく、コツコツ地道に働いていたという。しかし、人の世話についてはとにかく一生懸命であった。例えば、松木氏が足を痛めたときは、病院に同行し通訳をしてくれたと松木氏は教えてくれた。ただ、当時、水原通訳は明確な将来を示していなかったようだ。彼の父親は松木氏に「将来は彼に何をさせようか」という相談もしていたそうだ。
しかし、水原通訳は、95年に野茂英雄さん(当時ロサンゼルス・ドジャース)がメジャーリーグに来た時、「野球の仕事がしたい」という気持ちをずっと持っていたようだ。水原通訳の長年に渡る想いと、一生懸命な人柄が、今季の大谷選手の活躍の支えになったのではないだろうか。
松木氏も「(水原通訳は)マメで、北海道日本ハムファイターズの通訳をしていた時は外国人選手の世話をよくしていましたし、そういう面を大谷さんはずっと見ていたんじゃないですかね」と、彼のこれまでを振り返る。
松木氏の話から、大谷選手の今季の活躍の裏には、このように現地で大谷選手を支える人々の存在があった。特に水原通訳の支えは一番大きく、大谷選手は記者会見でも感謝を示している。今回のMVP獲得は松木氏が述べた通り、まさに2人のタッグマッチだったといえる。
たしかに、松木氏が明かしてくれたところの、MVPを獲得した大谷選手が今季何を食べていたのか、というのも興味深い話ではあった。しかし、それ以上に、大谷選手は彼らに常に感謝を持ち、その気持ちを示していたということに、松木氏のみならず私たちも大きな感銘を受けた。
今季のMVP獲得には、多くの人の支えとともに、それに対して感謝する大谷選手に大きな敬意を示したい。
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