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baseball2021.12.22

鳥谷敬が引退会見で話した、「阪神では野球選手の鳥谷敬を一生懸命演じていた」理由とは。

以前にも書いたが、我が家の小学3年生になる息子は、いまのところまったく野球に興味を持っていない。「どんなスポーツをやってもいいように」と幼稚園の時に始めさせたボルダリングにドップリとはまってしまい、他の競技をやることにまるで関心がないのである。

なので、可能性としては限りなくゼロに近いのだが、万が一、息子が野球に目覚め、かつ類まれな才能に恵まれ、ドラフトの候補にあがるようなことになったとする。

わたしは祈る。阪神だけは勘弁してくれ、と祈る。

あらかじめ説明しておくと、わたしは結構な阪神ファンである。息子の名前に「虎」の字を入れてしまうぐらいの、ヨメに言わせれば「完全にイカれた」阪神ファンである。だが、当然のことながら、阪神ファンである以前に一人の日本人であり、一人の父親である。そして、わたしの中の日本人が、父親が、全力で阪神入りに反対するであろうことは想像がつく。

数カ月前、ドラフト会議の直前に興味深い記事が載っていた。各チームの球団スカウトに育成ドラフトの持つ意味を聞く。ほぼすべてのスカウトが「もはや欠かせない制度」と答える。ところが、「もしあなたのお子さんが育成で指名されたら?」という問に対し、これまたほぼすべてのスカウトは「絶対にやめろという」と答えたそうなのだ。

わたしの中の日本人、父親が息子の阪神入りに反対するのも、基本的には同じ理由である。

育成から這い上がることは難しい。その厳しさを知るスカウトたちが、自分の息子にはそんな道を歩ませたくないと考えるように、わたしは自分の子供に阪神の選手であるがための苦労をさせたくない。

忘れられないのは、20年ほど前、阪神のエースだった井川慶と東京で食事に行ったときのことだ。

店に向かうエレベーターに乗り込み、行き先階のボタンを押そうとした時、2人の男性が駆け込んできた。その瞬間、それまで快活に話していた井川が突然言葉を切り、背中を向けたのである。

「なんか、習性でやっちゃうんですよねえ。顔を見られたくないって」

店に入り、再びリラックスした井川は笑った。

「スーパーとかで買い物してると、おばちゃんたちが話してるのが聞こえてきたりするんですよ。井川がおるで、ネギ買うてるでって。そりゃネギぐらい買うわって(笑)」

関西圏における阪神の選手は、野球選手であって野球選手ではない。オリックスの選手はスター選手であっても野球選手だが、阪神の選手は、1軍半程度の選手であっても野球選手を越えた存在として扱われる。

いい意味でも、悪い意味でも。

調子のいい時はいい。そうでないレベルの選手であっても、スター扱い、芸能人のような扱いを受ける。だが、調子を崩したら、あるいは負けに直結するようなプレーをしてしまったら、すべては一変する。待っているのは、ほとんど犯罪者かといいたくなるほどの罵詈雑言である。

それを、面と向かって浴びせられたりもする。

北関東で育った井川慶は、そんな関西独特のファン気質が苦手だった。ファン気質とは無縁ではないマスコミも苦手だった。入団直後、彼がつけられたあだ名は「だっぺ」だったが、茨城の高校を卒業したばかりの青年にとって、言葉の訛りをあだ名にされたのは愉快な経験ではなかっただろう。令和の時代なら大問題にも発展しかねない。

結局、阪神時代の井川は、最後まで仮面を被り続けたような印象がある。

同じ気配は、鳥谷敬からも感じられた。

井川より4年多く社会経験をしていた分、鳥谷はもう少し如才なかった。ただ、チームメイトや彼と親しいマスコミ関係者から聞く鳥谷像と、阪神のユニフォームを着てプレーする鳥谷の姿は、とても同一人物とは思えなかった。

かれこれ10年以上前、東京の酒席で鳥谷ら阪神の選手3人と隣り合わせたことがあり、わたし自身、メディアを通じて見る鳥谷像とのギャップに驚いた記憶がある。

「僕なんか全然エリートじゃないですよ。学校の成績だって全然ダメでしたし」

焼き肉を平らげながら話す鳥谷は、大いに快活で、大いに笑う、決して口数の少ない男ではなかった。おそらく、あれが本来の彼の姿なのだろう。

ただ、阪神に所属すれば、単にプロ野球でプレーするだけではなく、関西文化圏に溶け込み、同化することをも求められる。お立ち台の席で何のてらいもなく「阪神タイガースファンは一番やー!」と叫ぶことのできたトーマス・オマリーは、現役引退から四半世紀が過ぎてなお、阪神ファンから愛され続けている。

鳥谷敬は、たぶん、そういうことができないタイプだった。内に秘めた闘志を、激情を、彼はいつしかしまい込むようになっていた。

だが、阪神では努めてクールな装いを崩さなかった鳥谷は、たとえば13年のWBCでは感情を爆発させた。いまでも語り種になっている“刺されたらゲームセット”という場面での2塁盗塁と、井端のタイムリーで生還した直後の歓喜に、多くの阪神ファンはちょっとした衝撃を受けたはずである。

こんなトリ、見たことないわ、と。

そして、阪神のユニフォームを着ていた時はなかなか見られなかった“熱い鳥谷”を、現役最後の2年間を過ごしたロッテのファンは何回も目にすることになった。

特に印象的だったのは20年8月20日のソフトバンク戦だった。4-4の同点で迎えた延長10回裏、2塁走者だった鳥谷はピッチャーのワイルドピッチに乗じて一気に本塁を陥れる。間一髪、右手でベースをさらった鳥谷は、うつ伏せの姿勢のまま二度、三度と地面を叩いた。

仮面は、完全に捨て去られていた。



彼が阪神で現役をまっとうできなかったことに対しては、様々な意見がある。阪神フロントの対応のまずさを批判する声は決して小さくない。

だが、いまになって見れば、ロッテで過ごした現役最後の2年間は、球団と鳥谷、どちらにとっても素晴らしい時間になったようにわたしには思える。

過剰なほどの干渉から解き放たれたことで、彼は純粋に野球を楽しむ時間を持つことができた。解き放たれて初めて、過剰にしか思えなかった干渉には素晴らしい一面もあることに気付けただろう。引退発表後、在阪メディアの取材に答える彼の姿を見ていると、阪神に対する複雑な思いをほぼ浄化できたようにも見える。

そうなのだ。阪神ファンは、阪神を取り巻くメディアは、阪神でプレーする選手に素晴らしくも過酷な状況を突きつける。

ただ、OBとなった選手に、阪神ファンほど、阪神を取り巻くメディアほど優しいところはちょっとない。現役時代の成績が超一流、あるいは一流とはとても呼べない選手であっても、阪神でプレーしていたという事実は特別な意味を持っている。

なので、息子が阪神に入りそうになったら絶対に反対するであろうわたしも、阪神のOBになることには諸手を挙げて賛成する。OBとして生きていくのであれば、これほど素晴らしいチームと街はちょっとない……と思う。

監督になるのだけは、命を賭けて反対するだろうけど。

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