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baseball2022.03.30

「地獄を見た人間は強い」と言われるが、筒香嘉智ほどに強い日本人メジャーリーガーは近年いなかった。

アメリカのスポーツ・メディア『ブリーチャー・レポート』によると、ピッツバーグ・パイレーツに所属する筒香嘉智は、来る2022シーズンにホームランの急増が期待できる選手の一人なのだという。

ただただ、驚嘆するしかない。

1年前の今頃、タンパベイ・レイズに所属していた筒香は、崖っぷちとしか言いようのない立場に立たされていた。

日本球界屈指の長距離砲だったとはいえ、メジャーでも日本と同じペースでホームランを量産できるとは、獲得したレイズだけでなく、他ならぬ筒香自身も思っていなかっただろう。結局、60試合に短縮された20年のシーズンで、彼は51試合に出場し、8本のホームランを記録した。通常通りのシーズンであればラクラク2ケタに到達していた数字であり、満点合格、とまではいかないものの、及第点はつけられる数字だったといっていい。

だが、打率は低迷した。クリーンナップとして期待された選手の打率が2割を切ってしまったのだから、当然、筒香に対する風当たりは強くなった。

日本では、1軍でプレーしている選手でも育成のために我慢して起用されるというケースがままあるが、メジャーは違う。選手を育てるのはあくまでもマイナー・リーグまでであって、最終舞台でもあるメジャーで求められるのは、ただただ結果のみ、である。「我慢すれば花開くかも」という考えがない、とはいわないまでも、彼らの堪忍袋の強度は日本人のそれよりもずっと低い。

だから、1年目がパッとしなかった時点で、レイズの中では早くも筒香を見切る動きが出ていたのだろう。日本経済が没落したことで、日本人選手の獲得によって得られていた経済効果もなくなった。チーム側が選手の覚醒を待つ理由は、確実に減ってきている。

案の定、2年目のシーズンが始まり、筒香の打率が2割に満たないところでウロウロしていると、レイズのフロントはあっさりと選手登録枠の40人枠から筒香を外した。DFAと言われるこの制度には、立場や状況によっていろいろな受け止め方があるが、この場合のレイズの判断は、2年契約1200万ドルで連れてきた日本の大砲にメジャー失格の烙印を押したに等しかった。

ただ、見切りをつけた人間がいた一方で、まだ筒香の能力を信じていた人間もいた。レイズでDFAとなってから4日後、筒香は伝統のドジャー・ブルーのユニフォームに袖を通していた。

しかし、彼はそこでも結果を残すことができなかった。12試合に出場して打率.120、本塁打ゼロ。レイズと違い、ただ同然の額で筒香を手に入れていたドジャースの堪忍袋の緒は、レイズよりさらに強度が低かった。

これで、筒香のメジャー・リーグ人生は完全に終わったはずだった。少なくとも、この程度の成績しか残せず、また、このような扱いを受けるようになってしまった日本人選手が、それも日本人の野手が覚醒した例は、ほぼほぼ皆無に等しい。わたしの知る限り、メジャーの中で時間をかけて才能を開花させた日本人野手は、大谷翔平ただ一人である。

もちろん、投手としても極めて非凡な存在である大谷の場合、たとえ打率が1割台に低迷するようなことがあったとしても、クビを切られる心配はほぼなかった。バッター一筋で、ここで結果を残さなければ後はない筒香と同列に論じることはできない(いまの大谷と「同列に論じる」ことのできる選手など、地球上のどこにも存在しないのだが)。

ともあれ、ドジャースでも40人枠から外れたことで、日本では筒香の球界復帰も噂されるようになっていた。メジャーではサッパリだったとはいえ、日本での活躍ならば疑いの余地はない。事実、水面下で獲得に動いたNPBの球団があったとも聞いている。



それだけに、8月にパイレーツが筒香メジャー契約で獲得したというニュースが飛び込んできた時には、獲得に動いたパイレーツに驚き、まだ諦めていなかった筒香に驚いたというのが正直なところだった。

ところが、レイズに入団した時とは比較にもならないほどの注目と期待しかされていなかった筒香は、ここで突如として覚醒した。この年、レイズとドジャースでは出場した38試合で1本のホームランも打てなかった男が、パイレーツでは43試合の出場で8本をスタンドに放り込み、打率も.268まで急上昇させたのである。

横浜高校の先輩でありベイスターズのOBでもある多村仁志さんとの対談したJスポーツの番組の中で、筒香はパイレーツでの変化、成功での理由に移籍最初の打席が大きかったと述べている(YouTubeでも見られるので、ぜひご一覧を。実に秀逸な対談です)。

8月16日,筒香にとってパイレーツでの最初の打席は、代打という形で回ってきた。1点差で迎えた9回表1アウト。マウンドに立つのはドジャースの絶対的守護神ケンリー・ジャンセンだった。

2球で追い込まれ、苦しくなったかに思われた筒香はしかし、3球目の96マイル(約154キロ)のファストボールを見事レフト線にはじき返した。それだけではない。翌17日の9回にも代打として打席に立った筒香は、またしてもジャンセンから3塁線を破る2ベースを放つのである。

これでベンチからの信頼を得た筒香は、次第にチーム内での存在感を増していく。シーズン終了後には、パイレーツと再契約を結ぶことにも成功した。まだまだ安泰とは言い難いが、1年前の今頃に比べれば、ずいぶんと崖っぷちからは遠ざかった感もある。

ただ、本人が番組の中で言っていた通り、そのきっかけがたったの1打席にあったとするならば、メジャー・リーグ、いや、プロ・スポーツの世界で生きていくということの過酷さ、残酷さを思わずにはいられない。

もしあそこで凡退していたら。打球がファウルになっていたら。内外野が極端に右によるシフトをとっていなかったら──筒香の人生は、また違ったものになっていたかもしれないのだから。

ともあれ、筒香嘉智は生き延びた。数多の日本人メジャーリーガーが「落ちたら二度と上がれない」と呻いたマイナーという沼での日々を、見事にサバイブした。よく「地獄を見た人間は強い」と言われるが、ならば、筒香ほどに強い日本人メジャーリーガーは近年いなかった。

そこまで読んでの期待、とは思わないが、だから、『ブリーチャー・レポート』の記事を、わたしは信用したい気分になっている。

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