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baseball2023.06.05

輝きを取り戻す再燃する星、菊池雄星のメジャーリーグへの挑戦と覚醒

白状する。

「次回は今シーズンの菊池雄星についてお願いします」

担当I君からのメールに目を通した瞬間、わたしは固まった。

(うわ、どうしよ……)。

曲がりなりにもスポーツライターを名乗っている以上、どんなテーマであっても平然とこなさなくてはならない──フリーランスになってほぼ四半世紀、そう自分に言い聞かせてきたわたしである。というか、たとえばグラウンドホッケーとか、フリークライミングとか、これまでおよそ関わった経験のないジャンルの方にお話をうかがうのはめちゃくちゃ面白いし、書いたことのない世界についてのリクエストを受けるのも、どちらかと言えば好きな方だった。

だが、「菊池雄星について書いてくれ」と言われて固まってしまったのは、わたしがかつて、この選手に熱狂していたからだった。正確にいうと、熱狂していたにも関わらず、いつの間にか「あんまり関心のない箱」に追いやられ、しかも、自分でそのことに気付いていなかったからだった。

14年前になる09年のドラフトで、菊池は6球団からの1位指名を受けた。間違いなくその年の最大の目玉であり、くじ引きには我らが阪神タイガースも参加した。強く強く、本当に強く、わたしは祈った。ひょっとすると、その3年後、和田豊監督が藤浪晋太郎のクジ引きに臨むときよりも強く祈った。

だが、真弓明信監督が手にした封筒の中に「交渉権確定」と書かれた紙は入っていなかった。嗚呼、やっぱり。真弓監督、というより、阪神という球団のヒキの弱さを激しく嘆いたことも覚えている。

なぜあのとき、わたしはあんなにも菊池がほしかったのだろう。

彼が、明らかに特別だったからだった。

よく、野球の世界では「サウスポーは5キロ増し」などと言われる。同じスピードの直球であっても、左腕の投げるボールは主流派たる右利きの投手が投げるそれよりも、5キロほど速く感じるというか、プラスの付加価値があるというのだ。

ただ、単純にストレートのマックスを比較した場合、その世代の最高値をマークするのはいつも右腕という印象がわたしにはあった。古いところで言えば、工藤公康と槙原寛己。高校時代から愛知県を代表する速球派として知られた2人は、プロ入り後も素晴らしい活躍を見せたが、当時の甲子園で最速記録(147キロ)を残したのは槙原の方だった。

一方、最速ではヒケをとった工藤は、プロ入り後の勝ち星で大きく槙原を凌駕したから、サウスポーには数値以上の付加価値があるというのは、あながちオカルトでもない。

ところが、菊池の場合は違った。その速球は間違いなく世代のナンバーワン・クラスであり、しかも、左腕では滅多に現れない豪腕タイプのピッチャーだった。

絶対数の多い右腕の場合、自らの武器を磨くべく肉体を強化し、結果的に力感あふれるピッチングをする投手は珍しくない。だが、希少性の高い左腕では、球のキレや角度で十分勝負できてしまうからなのか、右腕ほどにはピッチングにパワーを求めない印象がある。そんな中、高校生としては異質なほどの体幹の強さを感じさせ、リリースの瞬間にパワーを爆発させるような菊池のスタイルは、プロ野球に目を向けてもそうはいないほどの輝きを放っていた。

ちょうど阪神からは、長くエースを張っていた井川慶がアメリカに渡り、左の絶対的なエースが求められていた時期だった。3年夏の甲子園で最速154キロを記録し、チームを岩手県勢としては41年ぶりとなるベスト8にまで導いた“勝ち運”を持つ菊池は、喉から手が出るほどほしい人材だった。

通常、そこまで阪神に入ってくれることを熱望した選手であれば、他球団に行ってからもその動向は大いに気になるわたしである。近いところでいうと、日ハムにあまり興味はなくとも清宮幸太郎の成績は気になってしまうし、いずれは巨人に獲られた浅野翔吾もそうなると思う。

西武に行った菊池が気にならなくなった、というわけではない。ただ、プロ入り後数年間で彼が残した成績は、こちらが勝手に期待していたレベルをかなり下回っていた。1年目、1軍登板なし。2年目、4勝1敗、3年目、4勝3敗1セーブ。4年目にようやく9勝4敗と飛躍のきっかけをつかんだと思いきや、翌5年目は5勝11敗。完全に被害者の立場だったとはいえ、大久保コーチの暴力騒動に巻き込まれたこともあった。イメージとしては、山あり谷ありどころか、谷ばかり。

恥ずかしながら、5年目ぐらいの段階で、わたしの中での菊池は、ドラフト1位で入団しながら1軍登板なくプロの世界を去った阪神の安達智次郎や巨人の辻内崇伸の残像が重なりつつあった。

きちんと西武の試合を見ていれば、また違った印象になっていたのかもしれない。無責任に期待して無責任に見限る。我ながら勝手なものだと呆れるが、幸いなことに、そこから菊池は覚醒した。プロ入り6年目(2015年)に9勝、16年からは3年連続で二桁勝利をあげ、17年には最多勝利と最優秀防御率の2冠に輝いた。パ・リーグを代表するピッチャーとしての地位を確立した菊池は、18年のシーズンオフ、待望のメジャー・リーグへの移籍もかなえた。

ただ、西武入りしてからしばらくがそうだったように、メジャーに渡ってからの菊池も、「入団直後から大活躍」というわけにはいかなかった。昨年までの4年間で21勝31敗1セーブ。失敗、と断罪してしまうにはいささか酷な成績だが、かといって成功と言えるほどでもない。次々と新しい選手が海を渡っていくこともあり、このあたりでわたしの菊池に対する関心は落ち込んでいた。

だが、日本でも5年目から成績を伸ばした菊池は、メジャーでも同じことをやろうとしているのかもしれない。なんと、開幕から5連勝。1年を通じて7勝をあげるのが最多だったことが信じられないようなスタートダッシュを見せた。今シーズンから導入された投球時の時間制限が彼にあっている、という見方もあるようだが、過去最高の滑り出しを見せているのは間違いない。

5月に入ってからは失速気味となり、被本塁打が増えているのが気になる。ただメジャーリーグの公式サイトなどは、被本塁打が増えたのは昨年までに比べてストライクゾーンで勝負するようになった証とも捉えており、この原稿を書いている5月25日現在、四球率は9回あたり2.45と、昨年の半分以下に減少している。

果たしてシーズンが終わるころ、菊池はどんなオフを迎えているだろうか。一流のアスリートは自らの成功体験を再現させることに長けている。わたしを含め、一度は盛り上がり、徐々に関心を失っていった人間が、再び菊池雄星という名前を強く認識する可能性は、決して低いものではないと思う。

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