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other2019.09.20

勝てば、日本ラグビーの未来は変わる!なぜどん底だったサッカーが変われたのか?

清宮克幸さんが、まだあくまでも"ラグビーの清宮"だった頃、つまり彼の息子さんがまだ小学校低学年だった頃の話である。

後に日本ハムからドラフト1位で指名されることになる息子さんは、すでにスポーツ万能の才を発揮しつつあった。負けん気も相当に強いらしく、お父さんとしては幼稚園時代に椅子とり競争で負けて号泣する息子の姿をみて「よし!」と思ったのだという。

「野球で甲子園、ラグビーで花園。日本で初めてその両方に出る高校生になってくれたら、なんて思っているんですけどね」

ほう、それが実現できたら凄い。でも、他のスポーツって選択肢はないんですか?たとえばほら、サッカーとか。

清宮さんはニヤリと笑って言った。

「それだけは絶対にイヤです」

清宮さんがサッカーを嫌っている、というわけではない。そもそも、中学時代の彼がやっていたのは、他ならぬサッカーだったし、2010年に行なわれたサッカーの南アフリカW杯の際には、大学の先輩でもある岡田武史監督を応援すべく、わざわざ現地まで飛んでいる。付け加えるなら、Jリーグで監督を務める早稲田大学出身者の多くは、その帝王学を学ぶべく清宮さんに教えを請い、清宮さんは快く要望に応えている

だから、サッカーを嫌っているわけでは断じてないのだが、しかし、彼はラグビーというスポーツを愛し、関わってきたことに強い誇りを抱いている。

しかも、彼が現役としてプレーしていた80年代、ラグビーは人気の面ではるかにサッカーの上を行っていた。日本代表のW杯予選や天皇杯の決勝がせいぜい2万人の観衆を集めるのが精一杯だった時代、清宮さんが主将を務めた早稲田大学は国立を埋めつくした7万人近い観衆の前で、明治大学や社会人の強豪と戦っていた。

そんな自分の息子がサッカー? ないない! 聞いておきながら、わたしも「そりゃそうですよね」と言って笑った記憶がある。

そもそも、もし似たような質問を80年代のわたしがぶつけられていたら、”ニヤリ”どころかまなじりを決して「それだけは絶対にイヤだ!」と言い切っていただろうから。

80年代、ラグビーには平尾誠二さんというスーパースターがいた。素晴らしい選手だっただけでなく、腹が立つほど男前で、後に取材をさせていただいてわかったのだが、人間的にも恐ろしく魅力的な方だった。その人気たるや、およそラグビーとは縁のなかった女性誌までが特集で取り上げるほどで、平尾さんみたさに会場に足を運ぶ女性も珍しくなかった。

一方、サッカーはどん底だった。日本リーグの試合は2,000人も集まればいい方で、下位同士の試合になると3ケタ、ひょっとしたら2ケタの観衆しかいないのでは、なんてこともあった。ガランとした記者席では、新聞記者が暇つぶしに“バードウォッチング”という名の観客数えをしていたこともある。

サッカーを愛し、いまから思えば”サッカー原理主義者”と言われても仕方がないぐらい視野の狭窄していたわたしは、だから、ラグビーが妬ましくて仕方がなかった。当時の日本リーグは話題作りの一環として釜本邦茂さんのヌードポスターを作成したりもしたが、社会的反響を引き起こした平尾さんのグラビアに比べれば、あまりにもちっぽけでみすぼらしかった。

あの当時、21世紀の日本ではサッカーの人気がラグビーを上回る、なんて夢にも思えなかった。80年代後半からJリーグ発足に向けたプロジェクト・チームが動き出したが、わたしを含め、その未来に悲観的、あるいは冷笑的な目を向けるサッカー関係者は少なくなかった。

なぜどん底だったサッカーが変われたのか。

Jリーグの発足が大きな起爆剤となったことは間違いない。だが、発足からほんの数年たっただけで、Jリーグの人気に明らかな翳りが出始めていたことも事実である。やっぱり日本人にサッカーは合わない──発足直後は鳴りをひそめていたそんな声が、主に”野球原理主義者”から再び出るようになったのは90年代半ばのことだった。

だから、28年ぶりの出場を果たしたアトランタ五輪日本代表の活躍がなければ、2年後のフランスW杯出場がなければ、日本のサッカーはどん底の暗黒時代に逆戻りしていたかもしれない。

そして、続く日韓共催W杯での初勝利、初のグループリーグ突破がなければ。

2002年以降、あれほどしつこかった”サッカー日本人には不適合説”は、まったくといっていいほど聞かれなくなった。優勝直後の阪神ファンにも負けないほどの狂喜が、日本中のあちこちで展開されたのだから無理もない。

地元開催のW杯と、そこでの躍進が、日本サッカーを救ったのだ。

ただし、大きな効果のあるW杯には、劇薬としての一面もある。

清宮さんが応援に出かけた2010年のW杯を開催した南アフリカは、日本より早くW杯に出場し、日本より早くW杯での1勝を達成したアフリカのサッカー強豪国だった。アフリカ大陸初となるW杯を開催することで、南アフリカが大陸における21世紀のリーダーになると予想する人は少なくなかった。

だが、史上初めてアフリカ大陸でW杯を開催した南アフリカは、史上初めてグループリーグで敗退する開催国となってしまった。

以降、彼らはW杯に出場できていない――。

その事実を踏まえた上で、いまはすっかりラグビー好きになったサッカーファンのライターは祈る。

勝て、勝ってくれ、ジャパン。

勝てば、日本ラグビーの未来は変わる。勝つことも、未来を変えることも簡単なことではないが、でも、きっとできる。

ラグビー、やらせないんですか?

そう聞かれたマイナースポーツを愛するお父さんが、ニヤリと笑って答える場面が日本中のあちこちでみられるようになる。

「それだけは絶対にイヤです」と。

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