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other2020.12.09

大坂なおみは人生観を変える体験をして、さらに強くなれる。

もう3年ほど前の話になる。

その高校時代から取材していた伊達公子が現役を退くことになり、引退発表に合わせて半生記のようなものを出すことになった。

メインとなるのはもちろん彼女自身の言葉だったが、なぜ伊達公子は凄かったのか、なぜ伊達公子に続く選手は現れなかったのか、といったことを、かなりの数のテニス関係者に聞いて回った。当時、日本の女子テニス界は世界からちょっと取り残された状況にあったからである。

「大丈夫ですよ、大坂なおみさんがいますって」

そう言った関係者は、一人もいなかった。

彼女の才能を評価していた人が一人もいなかった、というわけではない。こちらが「大坂さんはどうですか」と水を向けると、ほとんどの人から「持ってるモノは凄いですよ」といった答えが返ってきた。「才能の大きさだけなら伊達さんよりも大きいのでは」と言った人もいた。一人もいなかったのは、彼女の才能を評価していない人だった。

ただ、大坂なおみの才能を評価する人のほぼすべてが、彼女の精神的ムラを口にした。

確かに強い時はべらぼうに強い。ただ、ひとたび勝利に向かう線路から脱線すると、そのまま破滅に向かって突っ走ってしまう──。

ならば精神面を強くすればいいのでは、と考えてしまうのが素人の哀しいところだが、コトはそう簡単ではないらしい。もちろん、鍛えるノウハウがないわけではないが、それは一子相伝の秘伝というわけではなく、学問、あるいはビジネスとしても成立してしまっている。そのため一人だけがぶっちぎりで強くなり、あとは置いてきぼり……なんてことはまずありえない。

結局のところ、精神的にモロいとされる選手が生まれ変わるためには、人生観が激変するような出来事を体験するか、あとは、勝つしかない。

ジョコビッチが強いのは、彼の母国セルビアが見舞われた戦乱と、それゆえに生まれた強烈な自我が関係している、といった専門家もいた。つまり、彼には人生観を激変させる体験があったということ。

残念ながら、というべきか、幸か不幸かというべきか、こうした経験は誰にでもできることではないし、できてしまうようでは困る。ただ、サッカーのワールドカップでも、政情不安な国は買い、というジンクスがあるので、自分たちが属する集団の危機が、思わぬ力になることが多いのは事実かもしれない。

ともあれ、人生観を変えるような体験と巡り逢うのが簡単なことではない以上、より手っとり早いのは勝つことなのだが、これはこれで難しい。

勝ったことのある人間は、苦しい状況に立たされた時、「自分は大丈夫」と考えることができる。勝ったことのない人間は、「ああ、やっぱりダメなんだ」と思ってしまう。いわゆる勝者のメンタリティ、敗者のメンタリティというやつである。高校時代、どうしても全国大会に届かなかった人間の一人として、社会人になってからは全国大会に出るのが当たり前なアスリートたちと接してきた人間として、この違い、痛いほどに良くわかる。実力的にはほとんど差がない両者が対決した場合、勝つのは大抵、勝ったことのある側なのだ。

問題は、勝ったことのない人間が、いかにして初の勝利を手にするか、ということ。

伊達公子さんは相当に強いテニス選手だったが、グランドスラムで優勝したことはない。それでも、3年前の日本テニス界にとって、伊達公子という名前は依然として日本の頂点であり続けていた。

それを、大坂なおみはあっさりと超えていった。

18年の全米オープンを制したことで、彼女は一躍国民的ヒロインとなった。ありとあらゆるメディアが群がり、その人となりを片っ端から取り上げた。

だが、残念なことに、グランドスラムで優勝したことのない彼女が、グランドスラムで優勝したことのない国の国籍を持つ彼女が、いかにしてグランドスラム優勝を勝ち取ったのかというキモの部分を、いまのところ、わたしは目にできていない。

ただ、案の定というべきか、一つグランドスラムのタイトルを手にしたことで、その後、彼女はポンポンと勝ちを重ね、すでに3つのグランドスラムタイトルを持っている。一番大変で、ほとんどの人が超えられずに終わる壁を、彼女は超えたのである。

そして、彼女は今後、もっと強くなる。

毎年阪神の優勝を信じてしまう人間のいうことなので、眉にたっぷりと唾をつけた上でお読みいただきたいのだが、とにかく、もっともらしいことを書く。

ご存じの通り、今年の全米オープンで、大坂なおみは1試合ごとに違った名前がプリントされたマスクを着用して入場した。非業の死を遂げた名もない黒人に寄り添おうとしたその姿勢は、全世界に強いインパクトを与えた。

絶賛した人もいれば、眉をひそめた人もいる。

いずれにせよ、20年の大坂なおみは、1テニスプレーヤーでありながら、マイノリティの権利を主張するヒロイン、ジャンヌ・ダルクにもなった。

これを、人生観を変える体験といわずにして何といおう。

勝ったことのある者は強い。大坂なおみは、強い選手になった。そしていま、彼女はさらに強くなれる可能性を手にした。

だから来年、世界のテニス界は、再びランク1位に返り咲く彼女と、かつて1位だった時よりはるかに強い彼女を目撃する──と思うのだ。

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