ラグビートップリーグ開幕!コロナ禍だからこそ、胸に深く刻まれる名勝負を期待したい。
全世界を襲った新型コロナウィルスの猛威は、もちろん、スポーツ界をも飲み込んだ。
いまのところ、チームが解散したとか、リーグが消滅したといったニュースは聞こえてこないが、だからといってこの先も大丈夫だという保証はない。遠くない将来、世界中のスポーツ界から断末魔の声があがったりしないことを祈るばかりである。
年末から年始にかけて爆発的な感染拡大が起きている日本だが、それでも、欧米諸国に比べればずいぶんとマシなレベルにあるようだ。ただ、この国で行なわれているほぼすべてのスポーツは、例外なくコロナによるダメージを被った。無傷のスポーツは?残念ながら、わたしには見つけることができない。
そんな中、極めて深刻なダメージを受けてしまったのが、いや、受けてしまったように思えるのが、ラグビーである。
まだ記憶に新しいラグビーW杯の熱狂は、この国に新しいメジャー・スポーツが誕生することを予感させるものだった。93年にJリーグが発足した際の熱気、盛り上がりも凄かったが、個人的には、それに負けないぐらいの熱量を感じたものだ。
Jリーグが盛り上がったことで、マイナー・スポーツだったサッカーは野球に次ぐメジャー・スポーツとして認められるようになっていく。当時の川淵チェアマンが口にした「スポーツを文化に」という言葉は、日本スポーツの進むべき道を示すものとして引用されるようにもなった。
ただ、スポーツを文化にするというのはどういうことか、あるいはどうすればいいのかということに関して、はっきりとした答え、イメージを持っている日本人は少なかった。
「文化」という日本語を英訳すると「CULTURE」になるが、この英単語には「習慣」という意味合いもある。つまり、スポーツを文化にするということは、スポーツを習慣にする、ということに等しいとわたしは思う。
そう考えれば、企業名を排して地域密着をうたったJリーグのあり方は、サッカーを観戦するという習慣のなかった日本社会の土壌を耕す行為にほかならなかった(ちなみに、CULTURE」には「耕す」という意味もある)。
だから、ラグビーW杯の熱狂は、そしてその後の日本を包んだW杯ロスの空気は、毎週末にラグビーを観戦するという習慣のなかった日本社会に、新たな種を蒔く格好の、千載一遇のチャンスだった。
ラグビー関係者の多くも、そのことを強く感じていたのだろう。五郎丸フィーバーを巻き起こしながら、しかしそれだけで終わってしまった15年W杯時の反省を生かし、各チームが積極的に世界のスターを獲得すべく動いた。コロナがなければ、ラグビーに飢えるという感覚を知った人の多くが、ラグビー観戦をより強固な習慣に、つまりは文化として取り込んでいくはずだった。
だが、その好機はコロナによって破壊された。
より多くの人にラグビーを日常の習慣にしてもらえるはずだったゴールデン・タイムは、ほぼ何の拡大再生産も行なわれないまま過ぎ去った。
1月に花園で行なわれた高校ラグビーの準々決勝、東福岡対東海大大阪仰星の伝説的な死闘は、たとえ無観客であっても、ラグビーの試合が人の胸を打つことがあるという一つの証明にはなった。とはいえ、ライトなファンの多くは、画面に映るスタジアムの光景から熱が伝わってこなければ、間髪入れずに画面を切り換えてしまうのではないか。
だから──。
いささか逆説的な物言いになってしまうが、今年のラグビーが盛り上がっていくためには、一試合でも多く、見たものの胸に深く刻まれる名勝負が演じられるしかない。ああ、やっぱりスタジアムに行って生の試合を観戦したい──と多くの人が切望するような試合をやってもらうしかない。
2年後には、フランスでラグビーW杯が開催される。
W杯をきっかけに日本国内のラグビーを活性化させるという道筋はひとまず断たれてしまった感があるものの、ならば、少しずつでも国内の熱気を高め、23年のW杯以後に再度急上昇させるという道は残されている。
外部から眺めていてちょっとひっかかるのは、各チームが積極的に動いている反面、リーグを統括する組織からラグビーを文化、習慣にしていくための方策が聞こえてこないことだ。
ラグビー同様にメジャー・スポーツの仲間入りを目指すバスケットボールのBリーグは、「プロ野球とJリーグのハイブリットを目指す」と島田チェアマンが公言し、それぞれのいいところを片っ端から取り入れていくというやり方で急速に浸透度を高めている。観客動員ではプロ野球やJリーグに太刀打ちできないけれど、配信ならば勝負できる──としてコロナ禍を少しでもプラスに転じさせようともしている。
さて、トップリーグが目指すところはなんなのか。
1年後、その答が見えていることを期待する。
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