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other2019.09.25

秋元才加│"問題児"だったバスケ部時代。もう同じことは繰り返さない【前編】

秋元才加さんが"バスケ少女"だったことは有名な話。今でもさまざまなスポーツに取り組み健康的な魅力を携えていること、そしてにじみ出る実直さや責任感の強さも相まって、その印象は違和感なく一致する。しかし意外にも、バスケ部での彼女は"問題児"で、「とにかく練習が嫌だった」という。今回は、そんな彼女とバスケットボールの関係について紐解いた。


■勝負がとにかく楽しかった


──バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

小学校のクラブ活動でバスケクラブに入ったのがきっかけでした。私はもともと身体を動かすのが好きで、外で遊んでばかりの子どもで。当時から166cmくらいあった身長も活かせそうだったし、バスケをやってみようと思ったんです。それに、私たちが子どものころはバスケ人気がちょうど盛り上がっていた時期。『スラムダンク』ブームもすごかったし、「学校でイケてる人はバスケをやってる」っていうイメージがあったんですよね。

──バスケクラブに入ってみて、どんなところが楽しかったですか?

学年関係なく、どんどん向かっていくのがとにかく好きでした。小学校のクラブなので、特に厳しい練習があるわけでもなくて、純粋に「みんなでバスケをやろう」っていう感じだったから、めちゃくちゃなプレーをしても何も言われないんですよね。今思えば生意気ですけど、先輩と勝負してどこまでいけるか、って競うのが楽しくて。身体が大きかったので、当時からポジションはセンター。ゴール下で相手に負けずにゴールできた瞬間とか、すごく気持ちがよかったのを今でも覚えてます。


■中学では"問題児"だった


──その後、中学でバスケ部に入るのは自然な流れだったのでしょうか?

小学5年生か6年生のときに、中学のバスケ部の先輩たちと対戦する機会があって。身長が大きかった私を見て、顧問の先生が「中学に入ったら絶対にバスケ部に入れよ」って声をかけてくれたんです。そのときは聞き流してましたけど(笑)。実際に中学に入るときは、「いろんな部活を見て、自分に合いそうなところがあれば入ろうかな」くらいの気持ちでいたら、入学式の日に「お前はバスケ部入れよな」って、顧問の先生に見つかって。そのまま連れられるがままに入部することになりました(笑)。

──中学時代はどんなふうにバスケに取り組んでいましたか?

うーん……いわゆる、問題児でした。身長が高かったので、ゴール下でボールをもらえばほぼ点が入っちゃうっていう感覚が、小学校のころから染み付いていたせいもあって。チームプレーが全然できなかったんです。身体が大きい私は、初めのころから先輩に混じって試合に出たりもしていて。でも、技術がないから活躍できないわけです。そこで前向きに「もっと練習しよう」と思えたら良かったんですけど……。先輩とも、同学年の仲間ともどう接していいかわからなくなっちゃって、練習にほとんど行かなくなってしまったんですよね。


■「私も向き合わなきゃ」と思えた


──その後、どうなってしまったのでしょう?

顧問の先生には、とにかく「なぜ来ないんだ」って、理由を聞かれ続けました。面と向かって懲りずに話をしようとするんですよ。今思えば、ありがたいことですよね。でも、私も当時は中学生で、どうして練習に行きたくないのか自分でもよくわからないし、うまく言葉にできなくて。きっと、周りのみんなはもっと私のことがわからなかったと思います。面倒な子だって思われてただろうな……。私としても「申し訳ないな」っていう気持ちはあったから、余計に気まずくなってしまって。どんどん悪循環に陥ってしまったんです。でも2年生の後半だったかな。ある日、先生とキャプテンが私の家まで来たんですよ。「来てくれないと困る」って。

──そのときはどんな気持ちでしたか?

突然だったので普通にびっくりしたのもありますし……当時は「構ってほしくないけど、構ってほしい」みたいな多感な時期だったから、「家まで来てくれるんだ」っていううれしさと「何でわざわざ来るの」っていう気持ちがごちゃ混ぜになっていたような気がします。でも同時に、「こんなに私が避け続けてきたのにみんなが追いかけてくれたんだから、私も向き合わなきゃいけないな」って思えた瞬間でもありました。それからは少しずつ練習に行くようになりましたね。

それと、ちょうど同じくらいの時期に先生から「お前ならできるからやってみろ」って言われて、市の選抜チームに入ったことがあったんです。いろいろな学校のうまい人たちが集まるチームのなかで、それまで感覚だけでバスケをしてきた私は「やっぱり技術がないとダメなんだな」って思い知らされました。先生も、たぶん私の意識が少しでも変化することを見越して選んでくれたんだと思います。こんなふうに、2年生のころにいくつかのきっかけが重なって、やっと少しずつ変わることができました。

──素敵な先生と仲間に恵まれたのですね。

本当にそう思います。当時練習に行かなくなった理由のひとつには、試合に行ったりする度に交通費や遠征費がかかるっていうのもあって。私の家は経済的に余裕がなかったので、お金がかかるとちょっときつかったんですよね。それを言えずにいたら、先生が気づいて「車出すよ」と言ってくれてました。ほかの部員の保護者の方も車を出してくださったり。迷惑かけてばっかりだったのに、すごく配慮してもらって。それで、「こんなに向き合ってくれる人たちがいるのに、自分は何してたんだろう」って思えたのも大きかったですね。

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後編 では、高校時代以降のエピソードや、大人になってからのスポーツとの向き合い方、そして現在部活動へ打ち込む学生たちへのメッセージをお届けします。


■プロフィール


秋元才加
1988年7月26日生まれ。千葉県出身。AKB48の二期生として2006年に加入。2013年のグループ卒業後は、女優としての活動を中心に幅広く活躍中。バスケットボール経験を活かし、B.LEAGUEやNBA関連の番組出演も多い。

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