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running2020.08.27

東京五輪女子マラソン代表 鈴木亜由子「マラソンはわたしを進化させ続ける」

2019年に開催されたマラソングランドチャンピオンシップで東京五輪出場権を獲得した期待の超新星・鈴木亜由子選手。彼女にとって走ること以上に楽しいことはなく、最も幸せなこと。その実力の背景は自主性と陽転思考にあった。


■何が起きても冷静に対処し続けてきた選手生活。ずっと走り続けていられるのは、自分の可能性を誰よりも自分が信じているから



──走り始めたきっかけ・理由はなんですか?

小学校二年生のときに、地元の愛知県にある陸上クラブに入部したことがきっかけです。そのクラブは自宅の近所にあったので、お米屋さんを営んでいる忙しい両親が半日子供を預けられるというのも理由でした。当時、走る練習自体は単調な印象があったので、走ることが大好きというきっかけで始めた感じではありませんでしたが、入部した陸上クラブが厳しい練習をするというよりもドッチボールなど遊びも入り混じった楽しいクラブだったので、走ることを楽しめていました。小学校のクラブ活動ではバスケットボール部に所属しながら、地元の陸上クラブにも通うという二足の草鞋を履くほど身体を動かすことが大好きで。小学生対抗の駅伝に出たときに初めて自分は長距離を走ることが得意なんだなと感じました。中学校でも部活はバスケットボール部に入部し、陸上はそのまま地元のクラブに所属して走っていましたね。もちろんバスケットボールも楽しかったのですが、その頃から陸上競技で努力の成果が大会での結果や記録に現れてきて夢中になっていたのと、自分の可能性をもっと広げてみたいと感じられたことで、高校から陸上競技に専念するようになりました。



──選手として第一線で走り続けるモチベーションは?

高校生の頃、何度も怪我や故障を繰り返しました。その度にどん底まで落ち、這い上がるの繰り返しで。なかには大きな怪我もあり、手術を2回して半年間治療とリハビリだけで一歩も走れない我慢の期間もありました。それでも心が燃え尽きることなくここまで走り続けてこられたのは、純粋に「また走りたい」という気持ちがあったから。この気持ちが自分を支えていたんだと思います。まだ本格的に競技に取り組み始めて間もなかったこともあり、怪我を治せばまた走れると自分自身を信じていましたね。中学校の頃くらいから走ることが自分自身を一番表現できることなのかなという思いが芽生え始め、それが軸となってブレなかったのはよかったんですかね。あとは、周囲のサポートのおかげです。特に家族は選手としてのわたしに何ひとつ強要することなく、片道3時間かけて遠い病院やリハビリ施設まで連れていってくれたり、根気よく一緒に頑張ってくれました。わたしが走っている姿を見られることが楽しいと言って、どんな状態でも寄り添って、全力でサポートしてくれる家族には本当に感謝しています。
家族だけではなく、監督やチームも自主性を重じてくれる風潮だったので、自分のペースで競技に向き合える環境だったこともよかったのかもしれません。怪我や故障をした時に”いまできることを最大限やる”って当たり前のことですが、それを思い詰めることなくポジティブに受け止める土台を築いてくれたのも、わたしを取り巻く環境や人のおかげだと思います。

──トラック種目からマラソンチャレンジのきかっけは何でしたか?

2015年と2017年の世界陸上にトラック種目で出場して入賞を目指したのですが、9位と10位という結果で目標に僅かに届かず、悔し涙をのみました。そこで、もっと自分の可能性を広げたいと考え、以前から視野に入れていたマラソンにチャレンジすることを決めたんです。それまで少しずつ競技の距離を伸ばしてきていたので、いつかマラソンを…とは考えていたのですが、マラソン練習に自分の脚が耐えられるのかという不安もあり、なかなか踏み出すことができなかったこともありました。でも、世界陸上の結果と向き合い、何事もやってみないと何もわからないのでチャレンジすることに決めました。髙橋監督がマラソンの一流選手を育てる名監督であること、世界トップレベルの練習を経験されている方だったので、この監督の元でチャレンジしてみたいと思ったのもひとつです。とても面倒見のいい監督で、高い経験値と幅広い視点を持ちながらも選手の意見を聞いて尊重してくれるので、たまにもらう強い圧を除けばとてもいい監督だと思っています(笑)本当は監督が理想としている、強くなるためのレベルの高い練習をこなせるようになりたいのですが、まだまだわたしにはできていなくて。もっと練習のレベルをあげたい!と強く思っています。マラソンに関してはまだ2本しか走ってない。さらに2本目は全然納得いかない内容だったので、わたしにとって未知の世界。もっと形にしたいと思っています。



──MGCはどんなレースでしたか?

MGCのときは本当に痺れました(笑)ゴールした瞬間にこれではダメだ!!って思ったほど。
このレース内容だとオリンピックに出たところでメダルが取れるはずがないと思い、すぐに次の課題が頭に浮かんだほどです。レース中は少しでもやめようという弱さが頭を過ったら確実に脚が止まってしまうと思っていたので、心を落ち着かせるのに必死だったのを覚えています。走っていて全然気持ちいいという感覚とかはなく、わたしのエネルギーはいつなくなってしまうんだろうっていう恐怖心がすごくて。想定していたよりもハイペースなレース展開だったので、すごく怖かったのを覚えています。メンタルはさほど強くないと思ってはいるのですが、わりと都合よく考えられる性格なのが良かったのかも。苦しいことも辛いことも、工夫して楽しさに転換できないかなって日常のいろんなシーンでいつも考えていて。どんな状況でも楽しめること、そしてそこに喜びを見出せることが強くなる秘訣だと競技を通して学んできました。それで自分が楽しいと思えたら、”よし!頑張った!”と自分を褒めてあげる毎日を過ごしているので、レース中も自分のメンタルをギリギリのところでコントロールできていたのかもしれません。


■MGCを終えて変わった意識。メダルを獲るという目標を我が事化する覚悟が持てた



──東京五輪延期、コロナ環境下で変化したこととは?

オリンピックが一年延期になったことを聞いた時の一番の感想は、”中止にならなくてよかった”というものでした。もし予定通り開催されていれば、1月に負った怪我を踏まえて急ピッチで身体を仕上げる心算をしていたのですが、じっくり調整ができる時間ができたとポジティブに捉えています。チームメイトたちも”きっとゆっくり怪我を治して万全の状態で挑めってことなんですよ!”と声をかけてくれたり。まだまだ走りたいし競技を続けたいと考えているので、治療もリハビリも後遺症がでないように丁寧に行うことに越したことはなくて。いまは怪我の原因を突き止めて、改善点と強化点にアプローチする練習内容に変更し、ベストなパフォーマンスを出すために必要な時間をもらえたと思ってます。メダルは取りにいかないと勝手に転がってくるものではないですし、生半可な気持ちではなく覚悟を持ってのぞみたいって思ってるんです。あまりこういうことを言葉にするのは好きではなく、とても勇気がいるのですが、それでも自分を奮い立たせるというか、メダルを取ることを現実として捉えたい。そのためにもまずはフィジカル面での足元をしっかりと固めて、来るべき”そのとき”に備えます。



──オフの日の過ごし方や走ること以外の趣味はありますか?

オフの日は、大体治療にいって、帰りに日用品の買い物をするくらい。そういえば先日収納キャビネットを買いました。部屋をきれいに保つために、時間があるときは整理整頓しています。
走っている時間以外は本や漫画も読みますし、SNSも見たりします。お菓子やファーストフードも心の栄養としてご褒美でたまに食べたり、緑が多い場所をぶらぶら散歩したり。身体のことを第一に考えているので、あまり面白い人間ではないんですよ(笑)
でもスポーツがすごく好きなので、引退したらいろんなスポーツをやってみたいです。いまは走ることにリスクがあることはできないので、それを気にせずにできるスキーやテニスを気楽に思いっきり楽しみたい。基本的にスポーツは観戦よりもやりたい側の人間なのであまり観ないのですが、スケートの小平選手のストイックさや信念がかっこいいと思っているので、いつかお会いしたいです。また、以前地元のテレビ番組の撮影で一緒になったバスケットボール選手の馬瓜姉妹や、体操の寺本選手とはたまに発動するLINEグループもあるんですよ。他競技の選手の活躍からも刺激を受けていますね。怪我から復帰して結果を出したときはわたしも本当に嬉しいですし、みんなのことを心から尊敬しています。
メイクしたりおしゃれしたりすることにも興味がないことはないのですが…いまは走って結果を出すことが自分にとって一番嬉しいことなので、そういうのは引退してからでいいかなって思います。あの痺れる感覚はなかなか味わえるものでもないですし、めいっぱい情熱を注げて、それだけに一点集中できるものがあることは幸せです。夏の合宿は40日ほど北海道で練習するのですが、監督がもともとトライアスロンをされていたのもあってロードバイクトレーニングが入っているので、すごく楽しみ。北海道の雄大な自然の中で、走るスピードとは違うスピードを感じられると思うといまからわくわくします。身体の一箇所に負担がかかりすぎると故障に繋がりやすいので、走ることと合わせてクロストレーニングを行い、合宿明けから質の高い練習ができるようにしっかり脚をつくってきます。


■自分の体重も走るときの衝撃も、時には気持ちも想いも乗せるシューズについて



──思い出のシューズはありますか?

MGCで走ったシューズはすごく思い入れがありますね。長くて辛い道のりをずっと支えてくれたというのと、もっとこのシューズをうまく履きこなしてあげたいって強く思った瞬間でもあったんです。オリンピック出場権を獲得したものの、絶対に成長したいという強い想いが溢れ出てきたレースだったので、自分への戒めと決意表明をあのとき履いていたシューズに込めました。相棒であるシューズは普段から汚れたら必ず洗って、大切に扱っていますよ。

──それぞれのシーンでのシューズの履き分けはどうされていますか?

これまでたくさんNIKEのシューズを履かせていただいてきましたが、ポイント練習のときはヴェイパーフライやズーム ペガサス ターボを履くことが多くて、距離走やインターバルでも使います。クロカン走でもターボを履きますし、ロングジョグのときは安定感のあるリアクト インフィニティ ラン、脚作りのタイミングだとフリーを履いたりと、練習内容とその時の自分の身体の状態に合ったものを4~5足の中から選んでいます。リアクト インフィニティ ランは歩いていると土踏まずのところに地面から突き上げられているような感覚を感じるのですが、走ると不思議とそれがなくて。走りやすくて気に入ってますね。雨のときにおすすめなのがシールドタイプのもの。防風効果を期待して寒い環境下のトレーニング用に使っていたのですが、雨が降っている時でも水が浸透しないのでオススメです。



──ナイキ エア ズーム テンポ ネクスト%の履き心地はいかがでしたか?

まずはジョグで使い始めましたが、このエネルギー量でもうこんなにスピードが出るんだ!というのが一番最初の感想でした。一歩で進むスピードがすごいんですよ。自然に速く走れるので、ポイント練習でも使えるんじゃないかって思っています。アルファフライの後継モデルでトレーニング用だと伺っているのですが、それでこんなに速く走れるのはすごい。先端2箇所にエアが入っていて柔らかいクッション性を感じるものの、着地のときの変な沈み込みはありません。いままでのシューズと比べて、ポンポンと跳ねる感じがあるんじゃないでしょうか。ヒールストライカーの方でも問題なく走れるかと。レースに出ない方で日常的に健康のために走っていらっしゃるような方にとっては高スペックに思えるかもしれませんが、このシューズのおかげで速く走れたら、それが走る楽しさに繋がるのではないでしょうか。レースに出場される市民ランナーの皆さんだったら、自分の脚で走る感覚を養えるシューズと履き分けながらレーシングモデルとして捉えられてもいいんじゃないかと思います。わたしもいろんなシーンで試して、シューズにとって良い相棒になれるように自分も頑張りたいですね。



<プロフィール>
鈴木亜由子(Ayuko Suzuki)
平成3年10月8日、愛知県豊橋市生まれ。2015年北京世界陸上5000m9位、2016年リオデジャネイロオリンピック5000m、10000m日本代表。2018年マラソンに挑戦し、初の北海道マラソン2018では2時間28分32秒で優勝。2度目のマラソンとなる2019年のMGCでは2時間29分2秒の2位でフィニッシュし、東京2020オリンピックの女子マラソン日本代表に内定。

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